見出し画像

国を置いていくGovTech

GovTechってご存知でしょうか。行政サービスを電子化して効率化していくのがGovTechだそうで、エストニアなどはGovTechの進んだ電子国家として有名です。

我が国の行政サービスは何かと手動であり、あれがスマホで完結すればどんなにいいことかと思うのですが、お国のIT政策も虚しく大陸の大国には既に追い抜かれ、東南アジアの国々にも近いうちに追い抜かれそうで、スマホであらかた済むようになる時代はこないんじゃないかと思う始末です。

私だけか他もかしりませんが、我が国に対しては結構な停滞感、閉塞感を抱いておりまして、それはナポレオンが生まれ変わって蜂起しようが変えられないのではと思える程に大きなものです。

年長者の方々が努力をしていないとか、売国奴であるとか言うつもりは毛頭ありません。たぶん、これは我が国の宿命で、非常に根深い文化的なもので、教育を放置したツケは国際競争が過去の事になるまで続くのでしょう。

それこそ、我が国のIT水準が国際競争の時代のうちに世界に追いつく事はありません。というのも、我が国が人工知能を最先端まで習得した頃には他の国々は人工知能や資本主義の段階を超え、近代国家の構造を不要とする「ただの社会」になっているからです。

社会はITによる合理化を突き詰める事に躍起ですが、この結末を予測する上では何の為に合理化したがっているかを考えねばなりません。人間は欲深い生き物ですが、同時に自分の欲に迷惑している存在でもあります。人間はITを最大限行使して、自らの欲を制御するようになります。人工知能は最終的にそうした使い方をされるのではないでしょうか。

令和の末頃には、人間が自らを安楽なゆりかごに寝かせ、生まれて死ぬまでを計画的に、資源を節約しつつ幸福に過ごせるよう人工知能に願うのです。

これは強制ではなく選択の末に行われます。利用規約に、全ての情報を惜しみなく捧げると同時に、最大限の幸福を約束すると書かれているからです。

そうした時代になる頃には社会構造が最小化されています。

人間に必要なものは、衣食住だったりマズローの欲求階層説の各項だったりですが、これを安定的に供給するのにそう大掛かりな仕組みは必要ありません。そもそも欲を持たぬように促された上で、衣食住と、生理的欲求、安全欲求、社会的欲求、承認欲求、自己実現欲求の最低限を与えるに必要なものを算出し、それを最小限の労働で供給する仕組みさえあればいいのです。

その最小限の構造に近代国家は含まれていません。問題をその根源から絶つ人工知能だけで、国家の使命たる国民の安全と福祉を供給出来るからです。

幸福な生涯に魅せられて利用規約に同意する者が半数を超え、はじめ国家と併存していたシステムはオープンソース式に成熟し、国家は静かにその役目を終えるのです。

それこそタイトルの「国を置いていくGovTech」です。

好き勝手に使わせてもらいます。