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認めよう。私は心が狭い。

恥ずべき感情だと蓋をしてきたけれど。認めよう。
私は心が狭い。


人のために役に立ちたい。私ができることで誰かが助かるのならいくらでも協力したい。そう願う心に嘘はない。


でも、どうしてだろう。協力し、お役に立って喜んでもらうことができた。
それでも。
すがすがしく、晴れ晴れと「やってよかった」と笑顔で終われなかった。


醜い自分をさらけ出す。


そこに至るまで、私には決定権がなくとても窮屈な思いをした。そして私の頑張りは一切表に見えなかった。
世の中、表に出るのは代表者一人だけでいい。
それ以外の協力者は文字通り縁の下の力持ち。個々に裁量権はなく、指示に徹することが求められる。そして表舞台では名を出されない。


特に、その代表者が自らで解決できず周囲の力を頼って何とか形にできた場合。それでも表向き、手柄(言い方がひどい)は代表者一人のものになる。


そんなもん、なんだろう。


縁の下の力持ちはとても頼りになる、なくてはならない大切な存在。重宝されるが裁量権はない。その存在が表に出ないから(裏方だもの)、直接感謝されることもない。
私は万一の際は責任も負う覚悟で、自らの判断で行動し決断したい。そして成果を喜んでもらえたとしたら真正面から受け取りたい。


人はそれを心の狭いただのでしゃばり、目立ちたがりと軽蔑するだろうか。



裁量権の小さな環境に身を置き、早3年が過ぎた。
全身におびただしく表れている湿疹は、もう何十件病院や薬を変えても一向に治らない。

なぜだろう。


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