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お耽美✨歌舞伎、泉鏡花原作「天守物語」を見た

女の子しか出てこない禁断の花園への憧れって明治時代からあったんだなぁ
からの
ディズニー「BeautyandtheBeast」が流れる(私の頭の中で)中盤
からの
絶望の中で愛を誓い合うロミオ&ジュリエットな終盤……

ロマンチックが止まらない!
やめて!ロマンチックとめて!
胸が苦しくなるほどのロマンチック
泉鏡花原作の天守物語を歌舞伎化した作品を見てきました。
ちなみに著者の歌舞伎観劇は人生2回目です。
ネタバレあり。
ご興味がございましたらどうぞ。

入り口のカッコいい絵

飲ーんで飲んで飲んで!江戸時代にもコールはあった!「猩々」(しょうじょう)


お酒を飲んで楽しく酔っぱらう妖精がかわいらしい短編。
バレエのくるみ割り人形の二幕のこんぺいとうのシーンだけを抜き出したみたいな演目だ。
マジで教養のなさを露呈して恥ずかしいが
後方の長唄衆、三味線、笛、つづみなどの和風オケピ(なんて言うんだろ)が袴を着て勢ぞろいしているのがめちゃくちゃかっこよかった。
日本人だからか、お正月のテレビ番組の刷り込みか、こういう雰囲気の音楽をきくだけで、なんだかおめでたい気分になってくるものだ。
ていうか、おめでたい音楽なのかな、そもそも。
そういうおめでたい雰囲気のダンサブルな曲に合わせて、酒屋の店主の男性が軽快に踊る。
こちらまで踊りだしたくなるような楽しい雰囲気だ。
それにしても……日本人はライブの時など直立不動でダンスが苦手と言われて久しいが、どうだろう、このように気分の高揚に合わせて踊りだすシーンが伝統芸能にだって組み込まれているのだ。
私たちの日本人も、ダンスが得意とされるアフリカ系の民族と変わらなくて、踊りで気分を表現するダンサーのDNAは組み込まれているのではないだろうか……。
とかなんとか言ってると、真っ赤な髪で真っ白い肌の妖精があらわれる。
この異形のキャラがお酒の妖精こと猩々(しょうじょう)だ。
何度見ても(まだ2回目だが)歌舞伎における異形の登場にはアッと言わせる驚きがある。
存在感あるキャラの登場におぉ〜となっていると、全く同じ姿をした妖精がもう一人あらわれ、双子みたいに、お酒のまわりをくるくると舞い踊る。なんだかとてもかわいらしい。
同じ格好をした二人のキャラが踊る、パ・ド・ドゥというよりミラーの感じ。同じ動きをする。
この舞踏の技巧を堪能する演目なので、これ以上は特に感想もないといえばないのだが、
この猩々(しょうじょう)、リーフレットやガイドでは「お酒の妖精」と説明されていたが、どちらかというと神道における「お酒の神」の方が表現として近いように思った。
その証拠に、このかわいらしい妖精の集まったデカい酒の瓶の持ち主である酒屋の店主は、この人外と出会うことで祝福されて、商売のさらなる繁栄がもたらされる。
刀剣乱舞が好きだからかもしれないが、
物の付喪神が人間に好意的に接する展開には違和感がなかった。
ところで、お酒の神が、お酒を飲んで楽しく振る舞う姿を想像して、舞台作品にした今作は「能」にも同名の演目のある、有名かつ歴史のあるものらしい。
後半、音楽のリズムと飲酒のペースが早まっていく様子は、さながら大学生の新入生歓迎会のイッキコールのようなリズムだ。
この一致を不思議な一致と言わずなんというだろう。
お酒を飲んだ時の気分の高まりは、
今も昔も相違ないということなのだろう。

休憩中のご飯問題


人生2回目の歌舞伎観劇でようやく客席でお弁当を広げていいらしいことが分かった。
前回はよく分からず、廊下のベンチでおにぎりを食べた。
食べ終わって座席に戻るともう誰も何も食べてなくて、
みんなどこで食事をとるのかが分からなかった。
今回は座席でお弁当を食べている人をたくさんお見かけしたので、
座席で食べていいんだ、とようやく確信することができた。
とはいえけっこう座席の間隔も狭いし、
桟橋席以外は座席でお弁当を広げて食べるのもなぁ、という気がする。みんな食べてたけど。
でも、こうして長時間の演目で、観客に軽食をとらせてくれるプログラムの時間配分や座席で食べていいシステムなのはマジで助かるなと思った。
これはぜひ他の舞台でも導入を検討してほしい。
立ってサッと食べてもいいですよ、みたいな空気なのってクリエのロビーくらいじゃないか。
2.5じゃなければあまり行かないかもしれないが、TDC(東京ドームシティホール)なんかどこも食べるなって感じだし……上演時間長くても。
帝劇も二階のカフェも、休憩時間に利用してトイレも並ぶのなんて時間的に無理だしなぁ。歌舞伎みたいに40分休みがあれば、カフェの利用も多少は現実味があるだろう。

天守物語における「ちいかわ」と「マリア様がみてる」


泉鏡花の作品には初めて触れる機会となった。
なので作風などは詳しくはわからないのだが、
まず非常に幻想的な雰囲気であることが特徴だろう。
なおかつこの天守物語は、ちいさくてかわいい存在を、読者の存在を限りなく薄めた状態で見たいという、いうなれば「ちいかわ」のような要素もある。
けっこう展開もシビアだし……

冒頭は、美人腰元、赤い着物の子役、オツボネ的な愛嬌豊かなオバサン、などがちょろちょろと楽しそうにしている「ちいさくてかわいい」シーンから始まる。
そこに、ワンピースのボア・ハンコックがドン!というオノマトペと共に登場するかのように、主人公の富姫がしゃなり!と登場する。
観客一同ほわ〜となってしまった。
美しい、かわいいものしか存在が許されない舞台上で、
富姫が今回のお出かけであった出来事を話してくれる。
この長ゼリフが、まぁシェークスピアか、っていうくらい非常に難しいセリフまわしで、ほとんど聞き取れなかったのだが(汗)
音声ガイドが補足してくれたことによると、
神様の世界の友達に、これまたかわいらしい頼み事をしてきたのだという。
今度、自分の城に妹が訪ねて来るので、鷹で猟を楽しんでいる小うるさい武士たちを、雨を降らせて追い払ってくれるよう頼んできたという。
なんかこう、
宮沢賢治の夜鷹の星とか、狼森と笊森・盗森みたいな。
動物たちが人間の言葉で、人間の常識から外れた話をする面白さというのかな。
そういう面白いセリフなんだと解釈しました。
ていうかここまで(ていうかこれからも)男しか出てないってマジか……。
すっかり女の園みたいないい匂いのする世界観だ。

そうこうするうちに、妹の一行が遠方からやって来る。
この一行がまた、カワイイ。
ワシが子供の頃見ていた「あんみつ姫」みたいな感じなのだ。
亀姫という、坂東玉三郎演じる真っ赤な着物を着た天真爛漫な少女のキャラクターがこれまためっちゃくちゃカワイイ。
お目付け役のキモめの婆やと、がんばれゴエモンみたいな愉快な男性と、小さな子役といった従者たちを従えている。
この……亀姫と富姫とがお互いを「カワイーー!」と褒め合い、頬を寄せ合い、微笑み合う。
こ、、、こんなGLがあるとかきいてないんやが……!
めっっちゃかわい〜〜
その後も、お姉さま、あなた、と互いを呼び合い、キャッキャとはしゃぐ姿はまさにマリア様がみてるのワンシーンであった。
歌舞伎の幅、広すぎだろ!!

しばらく遊んだのち、
亀姫はまた家路につくことになる。
二人は別離を寂しがるのだが……
いや、なんか見てるこっちもめっっちゃ寂しい……
意味がわからないが富姫と同じ寂しい気持ちになってしまって、ちょっとうるうるしてしまった。

美女と野獣


妹が帰った後の寂しさを一人でやり過ごす富姫のもとに、
意外な闖入者が訪れる。
いわく、このお城の最上階、富姫の住処には、
さまざまな怪談がささやかれ人々から恐れられていた。
ていうか富姫がこの最上階にやってきた者を片っ端からぶっ殺していた。
そのため、かれこれ300年近く城の最上階には誰も近づかなかったのだ。
なんとこの未踏の禁足地に、この城の若い武士が、
おそる、おそる入ってきたのだった。
なんでも、昼に富姫が亀姫にプレゼントするために獲ってやった、鷹の行方を探しているのだという。
鷹はお城の城主のお気に入りだったのだ。
それを富姫が獲ってしまったので、
鷹の行方を探して、鷹匠でもあるこの武士の男がここへ遣わされてきたのだった。
話をきくと、この若い鷹匠は城主のお気に入りの鷹を逃がしてしまったという罪で、この禁足地に鷹を探しに足を踏み入れるか、城主の不興を買った罪で死罪にされるかの二択を迫られていたのだという。
妹が帰った後の寂しさに暮れていた今日の富姫には心に珍しく隙があった。
また、これまで最上階に不用意に足を踏み入れ、富姫にぶっ殺されてきた無礼な人間たちとは異なり、女の姿をした妖怪の富姫にさえ、慇懃(いんぎん)に接した青年の誠実さに、富姫は胸を打たれるのであった。
こうやって暗闇の恐怖の中、
互いの見た目ではなく、種族を越えて、内面の心で惹かれ合う。
見つめ合う二人の姿は、ディズニー映画・美女と野獣のベルとビーストのようだ。男女が逆だが……
遠くから小さくアラン・メンケンのBeautyandtheBeastが流れてくる心地であった。

ロミオ&ジュリエット


なんやかんやあって青年は二度三度、富姫のもとに戻ってきたが、
最後に奇跡を目にしたしるし、として、富姫から宝の兜をもらう。
最上階から外界に降りた青年は、
この兜を、目にした不思議な出来事の物的証拠として武士仲間に掲げるが、
なんと、城主の家宝である兜を盗んだ逆賊として追われることになってしまう。
こういう筋の通らない、嫌な方向にばっかり進む
人間社会を妖怪たちが見下ろして、驚き、呆れ、しまいにはすっかり失望する。
こういうの、ジブリ映画の平成たぬき合戦ぽんぽこみたいだな、と思った。
人間の狡猾さ、愚かさ、筋の通らなさ、という醜い、クソな、邪悪な部分に、
ずっと純粋で、力もある、妖怪の側が負けてしまう不条理というか。
そういう残酷さ、悲しさみたいのが、
全体に横たわっていると感じた。

命からがら、4度目の逢瀬に、青年が最上階まで逃げてくる。
富姫は青年を守ることを心に誓い、
劇中ずっとこの物語を見守っていた「旦那様」という、金色の獅子の像(マーライオンみたいな形で2メートルくらいあり、獅子舞の獅子みたいな顔とタテガミをしている)の影に二人で隠れる。
無礼にもドカドカと最上階に入り込んできた10人かそれ以上の武士たちが恐れおののきながらも、逃げ込んだ青年を殺そうと部屋のスミズミまで徹底的に探し始める。
青年と富姫が見つかってしまうのではないか?
劇場に緊張が走る。
その中の一人が、この最上階にまつわる怪談に詳しく、
富姫がいつ、どういった経緯で妖怪になったのか?この旦那様と呼ばれる金色の獅子の像は、どういういきさつで作られたのか?悲劇的なエピソードを明かす。
実は富姫は妖怪になる前、この城の先代の城主からレイプされそうになったことがある。その時、富姫は屈辱から逃れるために自分の舌を噛み切って自殺した。
そうして死んだ富姫をかわいそうに思った彫刻師が、富姫のために掘ったのがこの旦那様こと金色の獅子の像だったのだという。
聞き取りにくいセリフから読み取ったのでちがうかもしれないが……笑
このエピソードを語り終えた途端、
二人を隠した金色の獅子の像が、お正月の獅子舞みたいに髪を振り乱して動き出し、武士たちに遅いかかった。
これが、本当に、怖い!
客席まで「ゾッ」とする感じがほとばしってきた。
ところで、最近は海外の舞台を中心に、「パペット」というすごい変わった着ぐるみみたいなのを使った演出を使うのが流行っているという。
今年私も舞台版キングダムやチェンソーマンの舞台でパペットを使った演出を見かけたが、遠くからでも不気味な存在感と威圧感があり、記憶に残った。
この天守物語がいつからこういう演出だったのか?は知らないが、「獅子舞」ってもしかして世界にさきがけた「パペット」だったのか!?スゲーじゃん!と思ったりした。
そのくらい、歌舞伎なんだけど、
迫力があり、不気味で、悲しいクライマックスにぴったりのアクションシーンだった。
舞台上を縦横無尽に駆け巡った獅子舞は、
武士からの一撃、二撃を喰らい、
両目を潰されてしまう。
獅子舞の健闘もあって、武士たちを追い払うことには成功した。
しかしなんと、
獅子の両目の負傷に合わせて、
富姫も、従者の女たちも、そしてなんと鷹匠の青年までも、みな目が見えなくなってしまった。
この不気味なシンクロによって、
富姫と、従者の女たちにとって、金色の像が不思議な霊力の源であったことが明らかになる。
そして鷹匠の青年も時を同じくしてめくらになったことで、この青年の魂のあり方にも変化があったことが示唆される。
さて、
初めての作家の作品に触れる時とは、結末が予想できずに心許ない思いをするものだ。
ひどい悲劇を描く作家だと分かっていれば、ここから訪れるのが、救いのない、最低最悪の結末であっても、一つのカタルシスになりうる。
泉鏡花とは、どのような作家なのだろう。
そういうメタ的な「先の読めなさ」にも不安を覚えながら、物語の行く末を見守った。
しばらくするとなんと、二人の前に、金色の獅子の像を掘った彫刻師の老人があらわれる。
この老人は、神か?幽霊か?
金色に輝く老人は、武士たちにやられた、金色の獅子の像の目を治してやるという。
そうして、みのと木槌でコンコンと像の瞳を叩くと、たちどころに、富姫と、従者の女たちと、鷹匠の青年の視力までもが戻るのであった。
そうか、泉鏡花とは、こういう物語を作る作家なんだ。
視力が戻り、お互いを見つめることができるようになった富姫と青年は固く抱き合う。
本当によかった……
物語の結末が発する多幸感に恍惚となり幕が下りた。

おわりに

先日見に行ったマハーバーラタとは異なり、
今回は満席であり、
12月の夕方ですでに真っ暗だった歌舞伎座は、おしゃれした観劇者でごった返していた。
マハーバーラタよりもずっと短かったが、
(マハーバーラタは2回休憩があった)
歌舞伎のさまざまな面を楽しむことができて、
大変満足でした。

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