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光合成微生物シアノバクテリアってかわい〜〜 放送大学面接授業「光合成微生物とその利用」 感想レポ

いきものはかわいいな、

あと、お金欲しい……

そういう煩悩にまみれている私だ。

放送大学のシラバスをパラパラ見てて「お、これ面白そうやん」と目にとまった。

提出したレポートと勝手にシラバスは別記事です。
お時間ございましたらどうぞ

あんま微生物に興味がない人向けに「なぜ光合成微生物が社会で注目されているのか」をまず解説してみる
(知ってる人は読み飛ばしてOK)


最近の電気代の値上がりとか、
真夏・真冬の電力需要の逼迫のニュースは誰しも聞いたことがあるだろう。

私たちが思う以上に、電力を得る方法の少なさが世界中で大問題になっている。

どうして電力がそんなに必要なのだろうか?

科学技術が大いに発展した現代社会であるが、
それはつまり何をするにも「電力」が必要になってしまったということでもある。

すべての家庭で冷蔵庫や洗濯機、携帯電話の充電のために電力が必要なことには容易に想像がつく。

次いで、私たちの職場であるオフィスや店舗などだが、
人が集まる施設というのは、照明やエアコンなど、人がいるための環境にするだけでも膨大な電力が必要になる。
誰しも職場の電気代の明細を見てギョッとしたことがあるのではないだろうか。
あの明細が日本の店舗とオフィスの数だけ、すなわち星の数ほどある。

また、オフィスや店舗に限らず、多くの工業製品(パン、ハム、本、化粧品、服、半導体までありとあらゆる商品)を生産する工場の機械やロボット、ベルトコンベアの稼働も電力で稼働している。
最近ではカット野菜などある種の野菜も野菜工場で生産されている。太陽光に近いパワーを出す人工照明と管理するロボットはすべて電力で動いている。

職場に向かう電車も出張で使う新幹線も空港まで行くモノレールも、
一度に何千人もの人間を高速で運ぶ動力は電力から得ている。
ここへきて、自動車もガソリンから電気で駆動するものへ変わってきた。

他にも病院ではさまざまな機械、たとえば人工呼吸器や心肺蘇生装置、人工透析の機械など命に直結する機械が電力によって駆動している。
つまりは電気がないと生きられない人もたくさんいるのだ。

こうして今や人間は家事をするにも仕事をするにも生きていくことにさえ、電力を消費することが必須になってしまった。

ちなみに電力は基本的に「貯蔵」ができない。
できたとしても充電池の大きさに対してあまりに少ない量なのだ。
つまり夏の間に太陽光で大規模に貯めたエネルギーで冬の電力需要をまかなったりすることは現状の技術ではできない。

もはや人命にも直結している電力需要を確実にまかなうために、各国めちゃくちゃ苦慮しているのが現代社会だ。

だから自国でエネルギー資源(石油とかガスとか放射性物質とか)を発掘できるくらいの広大な国土を持ち、他国に販売している国(ロシアや中国など)が、近年世界に対して強気に出るようになったのもこのためではないかと言われている。

このような状況で再び注目されるようになったのが原子力発電だ。
この原子力発電だが、
例えば従来の石炭による発電のように真っ黒な灰をもうもうと吐き出すことはない。
しかも効率の良さが段違いで、
なんとサイコロくらいのつまめるくらいの小ささの放射性物質のペレット(濃縮ウランという)から、
一人暮らしの家のまさに1年分のエネルギーが得られるという。

しかしこの発電方法の安全性はというと……
原子力発電に手放しで賛成する人の方が少ないのではないだろうか。

それに、この放射線物質も結局海外から買って輸入しなければならない。
その国がいつまで放射性物質を売ってくれるのか?
その国でいつまで放射性物質が発掘できるのか?
先行きは不透明だ。
そう、日本の「食料自給率」の低さは学校で教わったものだが、
今や「エネルギー自給率」の低さもヤバい、という話になっていたのである。

各政治家が反対意見を押し切ってまで、野山の美しい景観を破壊して各地にソーラーパネルを作りまくったり、
希少な野鳥が多数ぶつかって死んでいるというのに巨大な風車を建設して風力発電にあてているというのは、
もはやそこまでエネルギー需要が逼迫しているということでもあるのだ。

エネルギーを得る方法はこれまで、
石炭、石油、放射性物質、ソーラーパネルと移り変わってきたが、他にも何かないのだろうか?

そこで注目されるようになったのが「水素」だ。
水素は燃やしても二酸化炭素を出さない。
つまり最近ヨーロッパを中心に流行している(グレタさんとか環境活動家がめっちゃ反対している)「二酸化炭素排出規制」の願いも叶える夢のエネルギー源ということになる。
そのような流れを受けて最近ではトヨタも水素を動力源とする自動車を開発し、すでに販売もしている。
今大いにに注目されているエネルギー源、それが水素なのだ。

ハァ、ハァ…息切れしてきた……
この話面白いですか??
もうちょっと続きます

で、じゃあその「水素」どうやって得たらよいのか?
という話になった時にようやく出てくるのが、
この授業で扱う、
「光合成微生物」の一種である「シアノバクテリア」だ。

シアノバクテリアは代謝副産物として水素を合成する。

どういうことかというと、
例えば人間は、ご飯を食べると元気が出るのと同時にウンチが出る。

それと同じように、
シアノバクテリアは空気中の窒素を食べると、
元気が出る。と同時に、「水素」が出ちゃうのだ。ウンチとして。
不思議だ。同じ地球上の生き物なのに宇宙人みたい。

つまり21世紀の人類にとってこの不思議な生き物「シアノバクテリア」が、エネルギーの不足という社会問題に解決をもたらすのではないか?とひそかに期待されているというわけなのだ。

お金欲しい


ということは、だ。

水素を発生させるこのシアノバクテリアを現代社会のエネルギー需要に応えるような形で工業化できた者が、次の時代に莫大な富を得る王になる、と想像するのは道理にかなっているのではないだろうか。
つまり次の時代の石油王が生まれる兆候がある、というわけだ。

ま〜〜でも、今回の授業で先生から「この企業の株を買っとけばいずれ大金持ちかも」的な話はきけなかった(と私は感じたけど)わけで、
そんなうまくはいかないか〜〜という感じだった。

は〜お金欲しい……
とはいえ、この授業を受けていれば、
まぁ、どっかの企業がIRでシアノバクテリアの技術開発の複雑な話をした時にもついていける、
かもしれないので、無駄だとは思わなかったが。

生き物かわいい


ところで私は大学生の時に乳酸菌を培養していた。

同じ研究室の友人たちも乳酸菌を培養していたが、
ハタチくらいの子供みたいな学生が培養すると、うまくいかないことも、同じ事をやったはずでも時々妙にうまくいくこともあった。

偏差値のさして高くない大学の研究室とはいえ、
実験結果を捏造するわけにもいかないので、
卒論の時期になると研究室で切羽詰まった女子が泣いていたり、
何日も家に帰れていないのか隅の方で白衣にくるまった男子学生が寝ていたりとかなりのカオスになっていた。

そのようなカオスの中だったからか、
培養した乳酸菌を保温器に入れて数時間後に
試験管の中でしっかり固まっている様子を観察すると「え〜今日は元気だね〜!」とか、
逆にドロッとしていて固まらず、うまく増殖してなさそうな時は「どしたの〜元気ないじゃん」と声をかける、というのが日常の光景になっていた。

そういう中で見に見えない微生物をかわいがる、
という概念を習得し、今に至っている。
とはいえ、微生物の培養というのは他の細菌を滅菌した上でやらないと、意図しない菌を培養することになってしまう。
なので、それなりの機材のある大学などの研究機関でないと単一の菌の飼育ができないため、しばらくそうした感覚を忘れていた。

でも今回めずらしい「シアノバクテリア」についていろいろ知って、微生物やっぱかわいい、と思った。

私たち人間とかの哺乳類などの複雑な生命体と違い、そもそもの構造が細胞からしてシンプルなので、
環境を変えたりするとすぐに反応するところが面白い。し、なんだか可愛い。

例えばこのシアノバクテリアは
「あれ……食べ物(窒素)がまわりにないかも……」と不安になると、
「ヘテロシスト」という空気中の窒素を自分の好きな食べ物に調理するための特異的な細胞を発現する。

このヘテロシストこそが「水素」を合成する。
なので研究者はこのヘテロシストの発現と稼働をより効率的にすることが研究対象になるようだ。
先生もこのヘテロシストの形成に関わる遺伝子の組み換えを研究分野とされているとのことだった。

このシアノバクテリアであるが、
彼らは今いる場所が自分にとって不快な環境になったら、
自分でそれに気が付いて「やれること」を切り変え、たくましく生きのびようとする。

こんな微生物さえ自分の人生(人生?)を切り開く意志を持っているみたいで、学ばされるなと感じた。

自然科学のもたらす没入感の心地よさ


ここのところ私は新興宗教二世で宗教がどうとか
親との関係がどうとかで、
社会学とか精神的な領域の思索に力を入れていたので、
こうしてひたすら「明日使えないムダ知識」がたまる自然科学の面白さを感じたのは久しぶりだった。

こういう、他の人からすると「そんなこと知ってどうすんの😅」みたいな、
マニアックな興味の追求の先に、人類の科学は発展してきた。
今回もそうしたある種の最先端に触れさせてもらえて、たいへん有意義だった。

そして自分が、もともと誰もいない通学路で昆虫を探すのに夢中になり、帰りが遅すぎる、と親に心配され怒られるような子供だったことも思い出した。

自然を観察する時、そのあまりの面白さに自意識が消失する瞬間が好きだ。
誰の目も気にせず、自分の生き方を誰とも比べず、ただ一匹の動物になれる瞬間って爽快だと思う。

久々に自然への興味をかきたてられ、子供時代にかえる気持ちで、理系の科目特有の没頭感を思い出せたことが楽しかった。
まぁ、難しかったけど😅




しばらく放送大学で面白そうな授業を履修していきたいと思っています!

もし
「お金とか時間ないけど、どんなことやってるのか知りたい!」
という気になる授業がありましたら、

実際に履修してレポ書きますのでお気軽にコメントください!

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