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遠い穏やかな光を探して

 島田潤一郎さんの「あしたから出版社」(筑摩書房,2022)を読んでいて、この前会社のイベントで参加した、ビブリオバトルのことを思い出していた。


 島田さんが、どうやって出版社を立ち上げたのかが書かれていて、まだ途中だけど、ところどころのエピソードに目頭が熱くなって仕方がない。
 
 島田さんの本は「電車の中で本を読む」(青春出版社,2023)も持っていて、それも素晴らしい本だった。今まで本を読む人に話してもなかなか通じなかった、本が私に何を与えてくれるのか、私の何を救ってくれているのか、単なる情報提供ではない読書の意味について、実直に書かれていて、はじめて「あっ、私の話が通じる」と思った。
 
 通じると書くと偉そうに思われるかもしれないが、昔から本を読んでいると「えらいね」や「意識高い系だね」とか「本ばっかり読んでても」と言われることが多かった。でもその言葉はなんだかとても心外で的外れで、私は偉くなりたいから読んでいるのではなく、弱くて情けなくてどうしようもない人間だから読んでいるのだった。

自分で自分のことがわからない。本当は何を考えているのか、何がしたいのかわからない。そんな真っ暗闇の中にいるのは恐怖しかなくて。大人になればなるほど、一人で歩いていかなといけない場面が増えるのに、暗闇すぎて前が見えない。なんなら前なのか後ろなのか、右なのか左なのかもわからない。そんな漠然とした不安を抱えている中で本を読むと、真っ暗闇の向こう側にうっすらと光が差し込む気がする。それが見えるだけで心底安心する。その光の下にはいけないかもしれないが、とりあえず明るい方角がわかる。そこに誰かがいる気がする。そんな希望を持てる。私が進みたい場所やその風景が見える気がするから私は今、本を読んでいる。
 

 文学が、本が、特効薬になるというのではない。けれど、本を開き、言葉と向き合うことで、すくなくとも日常の慌ただしい時間からは逃れることができる。(中略)ときに、だれかのことを強く思うことで、自分の時間だけは、かろうじて取り戻すことができる。

島田潤一郎『あしたから出版社』筑摩書房,2022,138頁 


 本当にその通りなのである。島田さんの言葉を読むと、改めて本に救われている自分、そしてそれは本に興味がある人であろうとなかろうと、平等に得られる感情だと感じる。月に何冊も読んでなくても、ある一冊が、一節が、表紙が、タイトルが。本の存在があるだけで心が救われることがあるんだと、この世界が少し光って見える。
 
 
 そんな読書の素晴らしさを実際にご自身の手で作り伝えられていることを羨ましく思う。冒頭に書いたビブリオバトルで、私もはじめて人前で自分を救ってくれた本の話をした。(何を紹介したかは長くなるので、またの機会に)長編の文庫本、少しセンシティブな設定、でもその根底に流れる、人を想い続けるという普遍的な愛の素晴らしさについて、私の拙い5分のプレゼンで伝わるのかと、不安でいっぱいだった。なんなら、話し出す時には私は選書を誤ってしまったのではないかとさえ思った。でももう発表するしかなかったし、誰にも伝わらなくても、とにかくこの本を知ってもらえたらという半ば祈りのように近い気持ちで話し出したのだ。
 
 結果は、投票率一位でチャンプ本に選んでもらえた。驚いた。やり切った気持ちでちゃんと投票数を見ていなかったので、本のタイトルを呼ばれた時は嘘かと思った。優勝できたことより何より、少しでも誰かが読みたいと思ってくれた。この本に触れようとしてくれた。非力ながらもこの本の素晴らしさ、存在を知ってもらえるお手伝いができたことに感動していた。そんな風にしてはじめて、「心を伝える役割としての本」の魅力を発信する喜びを感じた夜だった。
 
 
 本で得られるのは小さな変化かもしれない、でも後にも続く長く穏やかな光になるのだと、島田さんは教えてくれている気がして。独りよがりかもしれないけど、自分の世界に逃げているだけな時もあるかもしれないけど、私はやっぱり本はやめられないなぁと、ぼんやり思うのでした。

Rin

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