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おばあちゃんの、やいと。

今の時代、子どもが悪いことをした時の「お仕置き」は何なんだろう。頭をゴツんするのも、ほっぺを叩くのも、アウト。家から追い出すのも、晩御飯抜きも、アウトだ。
そもそも「お仕置き」という言葉も、普段の生活では聞かなくなった。特に子どもを育てる上では、禁句になっているようにすら思うけど。
親に叩かれたことがない私は、友だちからちょっとバカにされていた。「親に叩かれたこともないの?」なんて感じで。もっと幼い頃の「お仕置き」には、パンツ一枚残して服を脱がされ、裸足のまま外に放り出されるというのがあった。玄関の戸はピシッという音と共に閉められ、鍵をかけられた。戸の前で、鼻水と涙でぐしゃぐしゃになりながらひたすら「ごめんなさい、ごめんなさい」と繰り返すしかない。今、こうして書いていてもなんだか悲しくなってくる。だが、この「お仕置き」は何もうちだけで行われていたわけでなく、近所の子どものいる家では日常に行われていた。泣き叫ぶ「ごめんなさい」がどこからか聞こえてくると、私は涼しい顔で「あ、ひろしくん、なんか悪いことしたんやわ」とつぶやいていたものだ。今なら間違いなく虐待として通報される。
ちなみに、パンツ一枚で放り出す理由は、子どもがそのままどこかに行ってしまわないためだそうだ。昔の人はなかなか賢い。

これらの「お仕置き」に加えて、おばあちゃんには「やいと」という方法があった。「やいと」とはお灸のこと。もぐさと呼ばれる茶色の綿のようなかたまりに、火をつけると炎が立ち上がらずに、少しずつもぐさが真っ黒に燃やされていくもの。元々肩こりなどの治療に使われていて、当時のおじいちゃんやおばあちゃんには、もれなく少し黒ずんだこの「やいと」の跡がついていた。時々は父にも「やいと」していたし、私ももぐさに火をつけるお手伝いはしていたように思う。つまり、どこの家にもやいとセットは、常備されていた、はず。
ところが、これが使いようによっては「お仕置き」の一手段に変わるということで、うちではおばあちゃんが右手に火のついた線香、左手に大きなもぐさを持って鬼の形相で追いかけてきた。とにかく、これが一番怖かった。家中を「ごめんなさい」を連呼して逃げ回っていた。
「もうせえへんか」「もうしません」
体の弱かった私が、そこまで怒られるほどいったいどんな悪いことをしていたのだろう。不思議と怒られたことは覚えていても、その元となった悪行については全く覚えていない。

それにしても、なぜあんなに「やいと」が怖かったのか。線香から火が移され、ちりちりと燃えて黒く変化していくもぐさを見ながら、その熱さを想像していたのだろうか。「あれは、きっと、とても熱い」と。熱い=痛い、痛い=怖いの簡単な方程式が成り立つ。しかしながら、実はお仕置きでも治療でも「やいと」されたことはなく、今に至るまで経験がない。

右手に火のついた線香、左手に大きめのもぐさを持ち、鬼の形相で追いかけてくるおばあちゃん。いやはや、この演出と演技力に完全にだまされていたのだ。秋田のなまはげ方式と名付けたくなるこの「お仕置き」。「お仕置き」とは、いかに苦痛なく、恐怖をイメージさせるものであることが最上の方法とされるようだ。
良いのか、悪いのか。私については、ここに書いて人に伝えたいくらい、そっと抱きしめたい思い出になっている。


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