自己陶酔で優しいフリして女を追い詰めるやべー男の話

若かりし頃の1年間、ろくでもない男に振り回されてしまったことがある。

一見優男かつ女性のことをとても大切にしているように見える男で、ズルズルとつかず離れずでなんだかんだ1年も経過していた。猛省している。
途中で何度もこれは良くないと思っていたのだが、なんでか1年も無駄にしてしまった。
もう何年も前の話だが、今にして思えばあれはデートDVでもあった。身体的暴力こそなかったが、精神は蝕まれていたのだ。
もしかすると似た環境にいる人もいるかもしれない。だからここに書き残しておく。


Aと私との1年間

Aとの出会い

その男Aは新卒で入社した会社の同僚だった。
向上心があり、がんばっているがどこか抜けているところがあって、つい気にかけてしまうような男だった。
やがて私にとあるショックな出来事があり非常に落ち込んでいたところ、Aはとても親身に、根気よく慰めてくれた。
私がヤケクソになっても、退勤後の時間をわざわざたくさん割いて慰めてくれた。

そんな流れで、やがてAと付き合うようになった。

ここまででは、まぁ探せばそこらへんに転がっていそうな出会いと付き合うまでの経緯だ。
しかし、実は細部にAのろくでもなさが潜んでいるのだ。

Aの「優しさ」の正体

まずAがこうして親身になって女性の話を聞いたり助けようとするのは、私相手だけではなく、ぶっちゃけ誰にでもやっていた。
その結果、Aは私ともう一人?いや二人?並行してつかず離れず状態の女性がいたのだ。
しかも、私は結構早い段階でそれに気づいていた。にもかかわらず、なかなか離れられなかった。
前述の通り、Aと接近したのは私にショックな出来事があってとても落ち込んでいたとき、メンタルが弱っていたときだった。人間、弱っているところに付け込まれると抜け出せなくなるようだ。
支えてくれるAと離れることで、自分がもっと不安定になることを恐れたのだ。

だが、そもそも不安定にさせているというか、不安定を悪化させているのもまたAだったのだと、後に気づく。

Aと私の価値観の大幅なズレ

Aは「私のことを思って」「私のために」人付き合いの在り方や恋人としての関係構築の在り方についてたびたび指摘してきた。

  • どうして同僚ともっと仲良くできないのか?普通はもっと仲良くできるものなのに、どうして仲良くできないのか?
    (※別に仲が悪いわけではない。同じフロアにいて雑談もするし、仕事上の協力も惜しまなかった。ただ、大学の友達のように休日に会ったりウェイウェイしない=仲良くない!と判断された)

  • どうしてもっと自分の仕事に協力しないのか?自分(A)が尊敬している先輩はお前のほうが席が近いのだから、もっとAを売り込めるだろう。なぜしないのか?
    (※席がたまたま近いだけで、その先輩とAと私の仕事は異なる。売り込むも何も私はAの仕事ぶりを知らない。)

  • どうしてもっと一緒にいようとしない?恋人なら一緒にいるものだろう。なぜ休日を一人で過ごそうとする?
    (※これは正直価値観の違いも含みそうだが…、Aは2日間休みがあったら、その2日間、48時間すべてを一緒に過ごすのが普通でそれ以外の選択肢は愛がない、という価値観だった。私は一人の時間が欲しいタイプだし、さすがにそこまでべったりは無理だ。ぶっちゃけ社会人で休日全部べったりは普通無理じゃない?
    あと、休日べったり過ごすことと、前述の同僚と休日ウェイウェイするのって両立しなくね?ともあとから思った)

と、例を挙げるだけでもこんな感じだった。
そして、これらを誇張ではなく、本当に毎日言われ続けた。手を変え品を変え、とにかく私の人付き合いの在り方がおかしいと。私がおかしいと。
Aはそんな酷い恋人(私)に辛抱強く付き合う稀で素晴らしい彼氏だと。
周りはみんな私に苦労していると。
本当にずっと、毎日毎日毎日毎日言われ続けた。

私も私で、いわゆる軽度のアスペ(自閉症スペクトラム障害でのグレーゾーン)だから、人付き合いの下手さにはある程度自覚があった。だから、Aの言うことを真っ向から否定できなかった。

今となってみれば、価値観の大幅な違いだったと思う。
世の中にはAに合う価値観の女性もいるのだろう。ただ、私は同僚と良好な関係でも休日まで一緒に遊ぶほどではなく、遊ぶにしてもウェイウェイする遊び方をせず、互いの仕事に過度に干渉せず、休日が2日あったら片方1日は一人で過ごしたい。そういう価値観だった。Aと違った。それだけなのだ。

しかしAは、私がおかしいと決めつけた。そして、そんな「おかしい彼女に辛抱強く付き合うオレ自身」のことが好きだったのだ。
自覚があるのかどうか、もう知ったことではないが、Aの女性への親身さは相手を思いやる気持ちからくるのではなく、女性を支えているオレ自身への陶酔から来ているものだったのだと推測している。

心身を削りながらのAとの別れ

やがて私は胃を壊し、全身に蕁麻疹がでた。明らかに身体がストレスに負けていた。
そこまでして付き合う必要性はないな、とようやく気付き、別れた。

別れた後もすんなりはいかず、Aは欠勤し続け、やがて休職した。
私が職場にいるのがツライ、という理由で。
実際どんな言い回しをしたかは知らないが、エライ人から私にはそのように伝えられた。

ちなみに、休職時の理由に個人名を挙げると、パワハラ等何らかのハラスメントがなかったかどうかを疑わなければならないらしい。
そのため、私はエライ人に事情聴取され、社内で自分のプライベートな色恋沙汰を話さねばならなくなった。普段ほとんど会話をしたことがない人相手に、いきなり自分の恋愛事情を話すのは非常にしんどかった。恥ずかしかったし、情けなかった。そんな状況は私にもまるで大きな罪があるように感じさせて、胃痛が増した。

結果的に何のハラスメントもしてない、というかデートDV受けてたのはむしろ私では?という話で、私には特にお咎めは無かった。
(※デートDVとは 内閣府の説明:https://www.gender.go.jp/policy/no_violence/date_dv/index.html

あまり書きたくないので書かないが、一部性的なDVとも取れる内容も受けていた。こうしてみるとデートDV被害だったなと思う。)

やがてAは転職していって、今は完全に縁が切れている。
Aと親しくなってから別れるまでで1年ほど、ハラスメント騒ぎでもう数か月、Aが転職したのは数年後なので、厳密には1年以上心の修羅場はあったが、Aと距離を取れるようになるまでが1年なので、ここでは1年間として語った。

自分で自分を蔑まないで

どうして心身を大幅に痛めつけるまで、1年間にもわたってAから離れられなかったのか。
大きな原因として、私が自分自身の弱みとして持っていた人付き合いの苦手意識に付け込まれた、付け込むすきを与えたのが良くなかったと思う。

苦手なのは事実だ。今でも苦労することはある。
でも、他人がそれに付け込んで私を攻め立てて良い免罪符にはならない。
不快だと思ったら注意や指摘をするなり、距離を置くなりするのは問題ない。むしろ私も正したいから教えてほしい。でも、付け込んで私を追い詰めるのは違う。それは注意でも指摘でもなく攻撃や自己満足だからだ。Aは自己満足だった。

もし私のように、人付き合いに苦手意識を持っている人で、パートナーがいる人。
これはあなたの性自認が女性でも男性でも関係ない。パートナーが女性でも男性でも関係ない。
もしそのパートナーがパートナー自身の価値観を押し付けて、パートナーと違うからという理由で攻め立ててくるなら、それはあなたのためを思ってやっていることではないと思う。
あなたのためを思っているなら、注意や指摘になる。
もし価値観のずれがあるとしても、擦り合わせよう、互いの価値観のちょうどよくバランスを取れるところを模索しようとするだろう。
そうではなく、攻め立ててくるばかりなら、あなたを攻撃しているのだと思う。

デートDVとは何かを説明している内閣府のサイトを再掲する。
これを見て、ほんの少しでも、本当にほんのすこーしでも「もしかして…」って思うことがあるなら、どうか立ち止まって考えてほしい。

人の時間は有限だ。無駄にしないで。
たった1年と思うかもしれない。でもその1年の記憶にはたくさんのトラウマも含まれる。その後何十年の人生に棘を残す。
だからどうか、無駄にしないで。


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