![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/135068471/rectangle_large_type_2_6f4ecc40f08d0687a595e08e3c751ced.png?width=800)
【SH考察:041】第六の地平線とギリシャ神話での冥府と死神の違い
Sound Horizonの第六の地平線Moiraは、古代ギリシャ的な世界観の物語だ。
しかし、現実に伝わるギリシャ神話とは少し違った面もある。
今回はその中でも、死後の世界である冥府に着目し、その相違点の整理と、そこから推測できるMoiraにおける神の位置づけについてまとめた。
対象
6th Story Moira
隠し曲の『神の光 -Μοιρα-』についても触れる箇所があるため、念のため#ネタバレタグをつけておく。
考察
冥府とは
冥府とはギリシャ神話における死後の世界。ハデスが治める領域。
一般的な解釈における冥府の雰囲気は、この動画がわかりやすい。
アサシンクリードオデッセイという古代ギリシャをテーマにしたゲームに、冥府のフィールドが登場する。それをゲーム内散歩という形で紹介・解説している動画だ。
動画の前半が冥府の紹介になっている。古代ギリシャ研究家の解説付きで、視覚的・聴覚的に非常にわかりやすいしおもしろいのでおすすめ。
冥府の王と死神
ギリシャ神話では、冥府の王はハデス。
(そしてややこしいが、冥府そのものもハデスと呼ぶ。ギリシャ神話では概念を神格化した結果、神の名前とその司るものが同じ名称になることがある)
タナトスも神として存在はするが、冥府の支配者ではなく、死んだ者の魂を冥府に誘いハデスに捧げる、いわゆる"死神"のポジション。
ここから、サンホラのMoiraにおけるタナトス、ギリシャ神話のタナトスは少し違った立ち位置になっていることがわかる。
というのも、冥府のことをハデスとはっきり言っているにもかかわらず、冥府の支配者がハデスでなくタナトスだと言っている。
其レハ冥府ノ支配者ニシテ亡者達ノ王
(Thanatos, the Lord of Hades, and the deadmen's king.)
地上ノ者達ガ【死神】ト呼ビ畏レテイル存在
(The living are terrified by the real god of death.)
(中略)
ソゥ…θコソガ死ダ
※一部書き起こしのため誤差がある可能性あり
そして、タナトスは自身を【死神】と言いつつ、実際に魂を持っていくのは黒き影という別の存在。
奴隷達の多くは背後に黒き影を纏っていた...
(中略)
その影は他の者には視えていないようだったが
少年は何時からかその存在に気付いていた... そして――
その影を纏いし者はそう遠くない内に確実に死んでいったのである・・・・・・
コンサートでは黒い衣服に骸骨の顔をした、魂を持ち去る者だった。
前述の通り、ギリシャ神話では冥府の王はハデスで、その冥府に連れていく死神がタナトスだ。
それに対してMoiraの世界では、王としてのハデスが存在しておらず、タナトスがその役割を担っている。
そして、ギリシャ神話でタナトスの役割だった冥府に連れていく仕事は、タナトスではなく名もなき黒き影が担っている。
さらにややこしいことに、タナトス自身は、人間が死神と呼んでいる者は自分だと称している。
このように、ギリシャ神話とMoiraの世界では、神の名前と役割がズレたりダブったりしているのだ。
![](https://assets.st-note.com/img/1689163505995-ZaTiwmqwaS.png?width=800)
ただギリシャ神話も古くから様々な解釈がなされ、ハデスとタナトスを同一視するパターンの解釈もあるようだから、正しいとか誤りだとかを判断する気はないし、できない。
上の図はあくまで解釈の一つに過ぎない。
ここで言えるのは、まずMoiraの世界ではギリシャ神話的タナトスとは別の概念が設定されていると読み取ることもできる、ということだ。
自然哲学・概念とその神格化
Moiraはギリシャ神話と比べると、より神と自然・概念を強く同一視しているように感じる。
タナトスもそうだが、他の神でもその傾向は見られる。例えばここで海原と太陽、美の神が挙げられている。
ようこそ此処は【詩人の島】
海原女神と太陽神 腕白き美女神の聖域
※ルビは書き起こしのため誤差がある可能性あり
ギリシャ神話であれば、海の神といえばポセイドン、太陽神といえばアポロン、美の女神といえばアプロディテというように、連想しやすい有名な神々がいる。
しかし実はポセイドンではない海の神もいる。例えばΘάλασσα。
元は単なる海という意味の言葉だが、ギリシャ神話の中でも原初の(古い)存在として、海を神格化した存在として神扱いされた。
(ちなみに古ギリシャ語での発音はTalassaだが、現代ギリシャ語的に読むとThálassaになる)
いわば自然哲学の延長線として、自然の偉大さを神扱いすることによって認知された存在だ。
このように、Moiraの世界では神と自然現象・概念そのものを同じ名前で呼び、同一視しており、ギリシャ神話の中でも有名どころではなく、より原初的な考え方・自然哲学的な考え方に近い世界観が設定されていると思われる。
結論
コンサート演出では人に近い形をした神が描かれることもあったが、こう見ると、Moiraでは神を人間とは別の種族としてみているというよりは、自然現象や概念への尊敬や畏怖を表すため、いわば敬称として神と呼んでいるように見えた。
それをふまえると、『神の光』のこれは、自然を舐めてかかる現代人への戒めとして刺さるものがあるように感じる。
コンサート映像を見るとなおさらに。
嗚呼... 火を騙り 風を穢し
嗚呼... 地を屠り 水を腐す
やがて 人間は 神を殺し 畏れを忘るるだろう
其れでも、お征きなさい仔等よ
※歌詞はコンサート映像で参照できるものは確認済
―――
よろしければスキボタン(♡)タップ・コメント・シェアしていただけますと幸いです。
他にもSound Horizonの楽曲考察記事を書いています。
更新履歴
2023/07/13
初稿
2023/09/22
歌詞引用表記を一部修正
2024/04/24
一部歌詞引用について「※ルビは書き起こしのため誤差がある可能性あり」の注釈追記
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?