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禍福は糾える縄の如し

私たちが生きる目的は「幸せになること」です。
だけど「幸せ」が何であるかは、人によって違うし、同じものでも幸せに感じたり不幸に感じたりすることもあるかもしれません。

誰もが憧れる俳優やアイドルは、羨ましい、と思うかもしれないけど、本人は自分の時間が無いとか、自分らしく振る舞うことができないとか、「不幸」だと思っているかもしれません。

私は、現在乳がん治療中ですが、治療法がマッチしているのか、副作用もないし手術後の経過も順調で、週に一度のジムにも問題なく通っています。
もちろん仕事も普通に行っています。
それは、やはり超早期で見つけることができたからです。
こういう話をすると
「言っていいのかどうかわからないけど、”良かったね”」と、言ってくださる方がとても多い。
私は、こういう感覚が大好きです。
出来事の絶対的な評価ではなく、相対的に評価できる視点と感性が
とても好き。
こう言われると「そうなの、良かったと思ってる」って、素直に答えられます。

もちろん、病気になるよりならない方が良いに決まっているけど、何もかもを避けることはできないし、それも一つの成果なので、ちゃんと受け止めることが大事だし、その成果を味わうことも大事。
そしてこの出来事を不幸な出来事にするのか「幸い」とするのかは、自分次第だと思っています。
とは言え・・・ここで無理やり「幸い」と思うのは違って、不幸だと思うことが間違っているわけでもありません。

物事にはやはり、陰陽があって「禍福は糾える縄の如し」という言葉があるように、両方ともあるんです。
不幸を味わうからこそ、幸せを噛み締められるってことがありますからね。

このところ、自分がとても恵まれているな。と、幸せを噛み締めているところなのですが、これが・・・なんていうかよく出来てるな。と思うことなんですよ。

この病気になった時、自分では早々に「癌」だと思っていたのですが、病院でなかなかその診断が下りず、4件目の病院でようやく癌として認められた(?)ので、長い間モヤモヤとしていた時間がありました。
その間、私がこの病気で仕事を辞めたり、あるいはどこか遠くに転地療法をすることになったとしても、多少の迷惑をかけたとしても、心配してくれたり困る人はいないだろうな〜、と寂しい気持ちもあったのです。

手術や入院が決まった時も、全部一人で手続きをして、入院中はもちろん入退院時も一人で荷物を持ってえっちらおっちらやったわけです。
もちろんお見舞いに来る人もいない(というか、誰にも病院を教えていませんからね)し、病気って孤独だと思いました。

ところが、退院してしばらくして、サロンを再開するお知らせをお得意様のにお知らせしたところ、あっという間にサロンのご予約枠が埋まり、「待ってました」とか「お帰りなさい」という温かい言葉をいただきました。
実際にサロンにいらした方も「綾子さんがいなくなったらどうしようかと思った」と、話してくださったり、寂しさを表明してくださる方ばかり。

あれ?私、何を一人で頑張ってるつもりになってたんだろう?と、急に申し訳なくなりました。

サロンだけでなく、歌についても同じように応援してくださる方たちがいらして、「早くステージに戻ってきてください」なんていうメッセージまでいただいたりして。泣く。

こういうのを「幸せ」って言うんだろうと思うんです。
不幸のどん底にいた気分になっていた私、実は幸せの絶頂にいました。って言う話です。

物事を多面的に見ることを気功やアロマセラピーでお伝えしているはずなのに、自分のことになると急に視野が狭くなります。
まだまだですね。

人を支える仕事をしているつもりですが、当然皆様に支えられて生きています。そして、出会う人の数だけ支えが多くなっている。
生きる年齢に比例して、支えが多くなっていると感じます。

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