見出し画像

叶わない方がいいそんな思い

時々お題に参加しようと思っているということを書いてかれこれ1ヶ月くらい過ぎているのですがなかなか参加できそうなお題に出会わずで今回でございます。
#もし叶うなら  でもきっと叶う気もするそんな思いを今回は書きたいと思います。

不完全燃焼で常に終わる思い

実はわたしは10年以上前に直接支援をする先を見つける目的で海外にボランティアに行ったのですがさほど何もできなかったなあという思いがあります。
日本でも時折いろいろなボランティアに関わってきていますが、そもそも何かできたということの方がおそらく少なく感じると思うのがボランティアだとは思っています。
ゴミを拾ったって結局対処療法ではあってゴミが一時的になくなるだけだし、継続的に養護施設に支援物資を持って行ったところで、わたしのそれが何になるのかというととても小さい物。多くは根本的に解決できないものなわけで、世の中の課題は自分が何かして解決できた!というほど軽い物ではないのがほとんど。なので何かできたということはきっとない。
ただそういう小さい積み重ねがいろいろなことにつながっていくし、一人ひとりの小さい積み重ねが大切だとはわかってはいるのですけどね。

でも時折ずっと海外で活動している若い方を見たりするとわたしももう少し何かしたかったな、できたのではないかと思ったりもしてしまうのです。もちろんそんな生半可な気持ちだけではやり切れないというのも知ってはいるのですが、やっぱり思ってしまう。
不完全燃焼なのでしょうね。
でも完全燃焼できるボランティアなんてないからまあ、普通のことではあります。

そう、わたしのもし叶うならはもっときちんと現地の恵まれない子供達にもっと何かをしたいのです。
海外で、親に捨てられたりしてストリートチルドレンになった子供たちが親を恨んでない、この国が好きだと言ったあの目が忘れられなくて。

実は今twitterやSNSやnoteで活動しているのもそういった目標をもって行ってはいます。
ただこのお題を書こうと思った時にこの思いは自分のさじ加減一つでもう少し関われたりもするよなあと考えたりもしました。
そしてこの #もし叶うなら  のこのお題のわたしの思いはある意味叶わない方がいいのかもしれないとも思ったのです。

誰もが住みやすい平和な世界に

わたしの願いは誰かが、それは動植物も含めて、住みにくく辛い立場にあってそれをもう少しなんとかするように関われないかというもの。
そういう意味では叶わない方がいいと思うのです。
だって、そういう人がいなければ叶わない願いなのですから。
そう、そういう人がいなくなってほしいというのが本当の願い。
そう思うと、わたしがしたいことというのは「もっと誰もが住みやすい平和な世界にするための活動を行う」ことではあるのですがその奥にある願いとしては「誰もが住みやすい平和な世界になること」なんですよね。
綺麗事のようでありますが、本当に願っています。
それほどに、発展途上国の子どもたちなどの状況はわたしにとってとても衝撃的だったのです。
お題をひっくり返すような感じでありますが。

まあでもそんなに世の中うまくできているわけはないので、わたしのもし叶うならしたいことというのは弱い立場の子どもや動植物が幸せに暮らせるようにもう少し力を注ぐことです。
まずは子育てが先にあるのがなんとも歯痒いですが。
でもできることを一つずつこなしていくそれが結局は不完全燃焼であっても願いに近づいていくことなのかなと思っています。


よろしければ餌を与えてみませんか?(=サポートお願いします)喜びます(=がんばる活力にします)