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正解がない、という難しさ。

新型コロナの対応で、あちこちがざわついている。いろんな意見があるけれど、どの対応が正解かなんて誰にもわからない。それが今回の一番のポイントだと思う。後になって振り返ってみたら「結果として」対応が適切だったかどうかはわかるかもしれないんだけど、それは結果論だから。今、どう判断するかってのは、人それぞれ。

見るテレビ番組によって、出ている専門家によって、意見が違う。前の日に発表されたことが、次の日には覆ったりする。こうして、毎日修正されていく情報に、振り回されるだけで疲れてしまう。

「子どもたちを風通しのいい広い公園で遊ばせるなら問題ない」っていう人もいれば、「子どもは大丈夫でもお年寄りや持病のある人にうつしたら大変だから、外に出かけるのは控えて!」っていう人もいる。電車に乗るのだって、「危険です」って言われても、仕事で混雑した電車に乗るしかない!って人もいるわけで。

「誰か、間違いない正解を教えてよ!!」と叫んだところで、今回の騒ぎに唯一絶対の正解なんて、あるわけがない。自分で考えて、判断して、行動する。それしかない。「じゃあその責任は誰が取ってくれるの!」って騒いでも意味がない。自分の行動の責任者は自分だからだ。

何もない時には、誰かが決めた正解に従っていれば、それなりに不自由なく生きていられたけれど、こうなると「誰も決めてくれない中で自分が何をどう決断して生きるか」を考えざるを得なくなる。厳しい。今まで自分で決めたことがない人にとっては、特に厳しい。だからパニックになるし、誰かのせいにしたくなる。だけど、誰かのせいにしたところで何も解決しない。

視点を変えれば「人の決めたことに黙って従う」という習慣を変えるなら、今がチャンスってことだ。他人に決めてもらっていたことを、自分で決める。決めて動く。動いた結果を引き受ける。そういう習慣を作ればいい。

ただ、そんな簡単にはできない。習慣を変えるのは大変だし、人間というのは、できれば変わりたくないものだからだ。だけどやる価値はあると思う。やると決めるかどうか。決めて動くかどうか。

この騒ぎで、決める人と決められずズルズル生きていく人の差が、ますます大きくつくんだろうなあと思う。私は、決めて動けるようになりたい。これだけ制限がたくさんある中で、どう生きるか。考え方次第で、どうにでもなるはずだ。

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