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選択肢を増やすこと以上に大切なこと

進路を選ぶ基準は人それぞれ、色々ある。明確にやりたいことが定まっている人もいれば、特に決まっていない人もいる。なんとなく、こっちの方に興味がある、という感じで選ぶこともあるし、みんなが行くからそこ、ってのもある。どの選び方をしてもいい、と私は思っている。そもそも、自分が高校を選ぶ時なんて、ほぼ何も考えていなかった。先生になるんだから、大学に行くためには高校に行くんだ、と思っていた。だから、偏差値が合っていて、通いやすいところで選んだ。

高校を選ぶ基準に「将来の選択肢を増やすため」というのがある。中学生くらいだと、まだ「何をやりたい」とか、「どっちの方に興味がある」とか定まっていない場合が多いので、とりあえず「普通科」にいっておけば、将来何になっても対応できるだろう、という感覚はよくわかるし、その選択もありだと思う。

ただ、子どもが明確に「これがやりたい!」と言っている場合がある。例えば工業や調理、看護など、明確に、そのさきの将来の職業まで含めて描いている場合。時々「もしそれになれなかった時に潰しがきかないから!」という理由で、専門科に行くことを反対されることがある。「やりたいなら、高校を卒業してから、専門学校や大学でやりなさい」と。

確かに、それもわかる。だけど、その子は「今」やりたいんだよね。何して良いかわからない、という状態ではなくて「これがやりたい!」って言っているのならば、私はその選択を尊重するのが一番だと思っている。

選択肢が多い方がいい、というのは思い込みなんじゃないだろうか。


例えばレストランに入って、メニューが和洋中全て揃っていて、500種類あったとしたら、選ぶのに疲れないだろうか。選択肢は絞られていた方が選びやすい。いっぱいあるから選べない、っていう人もいる。

「今日は中華が食べたい!」と、中華料理のお店に行こうとしている人に対して

「いや、もしかしたら明日は和食が良いって言うかもしれないよ!だからなんでも選べるフードコートにしておきなさい」と言っているようなものではないだろうか。

そう言われても「なんでよ!今は中華が食べたいんだってば!」と思うだけだろう。


子供が「これをやりたい」って言った時。確かにそれは狭い視野で考えたのかもしれないけれど、少なくとも方向性として「そっち」という感覚は持っているということだ。そして、選んだ結果「やっぱり違う」となったとしても、そこからまた選び直すこともできるのだ。


「どうせやり直すことになるのなら、初めからたくさんの選択肢を見てから選んだ方が遠回りにならずに済む」というのは大人の思考で、しかもそれが正しいとは限らない。遠回りした道の方に、実は自分でも気づいていなかった選択が見えてくることだってある。


もちろんまだ何も浮かばない場合には、普通科に行くのが良いだろう。まだ方向性すら見えていないのならば、応用が効くという点で、普通科が有効な選択肢だと思う。そこでじっくり方向性を考えれば良い。

つまり、その子がどの程度先まで見ているかによって、選択肢の数は変わってくるのだ。誰にでも選択肢を多くすれば良いわけではない。その見極め力が大事だなあと思う。


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