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第19話:猫との暮らし:三保編

猫との縁は深く、子供の頃も、そして今も猫を飼っている。就職したばかりの頃も猫と暮らしていた。と言うより、暮らさなければならない羽目に陥った。

当時勤めていた学校は三保半島の付け根、海まで歩いて一分の所に建っていて、窓から海も見えたし、潮の香りがフワフワと漂っていたりもした。すぐそばの浜は三保半島を一周する大きな石まじりの砂浜で、少し行くと有名な羽衣の松もあった。

なかなか重宝な場所で、授業で短歌を作りに出させたり、LHRではバーベキュー、やきいも、凧上げ、散歩なんかをしたり、時には放課後、一組の男女が訪れて海を見ながら青春したり、マラソン大会が行われたり、そんな利用価値の高い場所として生徒に親しまれていた。

ただ世の常の例に漏れず、浜は釣り客が置いていくゴミが散乱していたり、粗大ゴミを夜中に運んで置いて行く人もいた。そんな中に生まれたばかりの猫が捨てられていることも少なくなかった。

一度に4、5匹も生まれて来る子猫を飼えない気持ちも分からないではないが、波の音や、風に揺れる松の音に交じってニャーニャーと、どこからともなく泣き声が聞こえて来るのは哀れであり、人間のわがままの成せる一つの悲劇には違いなかった。

そういう猫を女生徒がよく浜から拾って来た。その気持ちも確かに分からないではない。しかし決まって「ウチでは飼えないから先生、飼って」と言って来るのには閉口してしまう。「ダメだ」と断ると、他の先生の所を一巡し当然のように断られて再来し、ミルクを飲ませながら「先生が飼ってくれないとこの猫死んじゃう」などと、まるですべてが僕の責任であるかのようなことを言い出す。

「かわいいなぁ、飼ってもみたいんだけどなぁ」と、うっかり言うと、もうその「だけどなぁ」の後に控えている僕の気持ちを一切無視して、「じゃお願いします」と言ってサーッと消えてしまう。

何故か、こうして巡り巡ったみんなの無責任の結果を結局引き受ける羽目になってしまうのが、僕のいつもの悪いパターンなのである。しかし仕方がない。いまさら海に放り込むわけにも行かず、時期を前後して二匹の猫を、生き物は飼ってはいけないという規定のあった職員住宅でトボトボと飼うことになったのである。 


こんな事情で僕と猫との共同生活が始まったのだが、どうなることかと重い気分で飼い始めたものの、暮らしてみるとそれなりに情も移ってなかなかかわいいものであった。

勤めを終えて部屋に帰って来ると、扉を開けた途端にニャーと言って迎えに出て来るのが良い。無論猫は腹をすかせてエサを求めているのだが、とにかく家で自分の帰りを待っていてくれるものがあるという感触は長く一人暮らしをしている身にはこたえられないものだった。

外に出ているときなどは僕を見付けるとピョンピョンと寄って来て僕の足にバクッとしがみつく。たまらなくかわいい。猫というのは基本的に無愛想で犬のように主人の愛情に報いるなどという気の全くない利己主義的な生き物だと一般に言われているが、まだ小さくて寂しかったり甘えたかったりするらしい。妙に人懐こい。

部屋の天井からヒモを下げテニスボールを結び付けて振ってやると、飛び付いて遊んでいる。自分で跳ね飛ばしたボールが後ろを向いた隙に尻にぶつかって怒ったりもする。

こういうのを普通「ジャレル」言うのだろうが、僕らは子供時分から「チョール」という動詞で呼んでいた。畳に寝転がると体の上に乗って来て歩き回り、足の辺りで足を滑らせてドテッとひっくり返ってみたり、胸のあたりに座って、そこから前足を延ばして僕の唇の動くのにチョーったりする。

電話を掛けていると立っている僕の足元でニャーゴニャーゴと鳴き、相手にしてやらないと、足元から僕の体をバリバリと上り肩にとまって電話口でニャーゴニャーゴとやりはじめる。

机に向かうと椅子の下でニャーニャーと鳴き、足にチョール。仕方がないので机の上にタオルを敷いて、ここがお前の場所だと言い含めて置いてやるのだが、そうは簡単に片付いてはくれない。スタンドの電気に飛んで来る虫にチョーり始め、机の上を駆け回っている。

これはたまらない、放って置こうと机を離れると、今度はニャーニャーと寂しそうな声で僕を呼ぶ。まだ小さくて机から飛び下りられないのである。仕方がないのでもう一度机に戻り、お前の場所はここだ、と目をじっと見ながら言ってやるのだが、一向に効き目がない。

しまいには読んでいる本の上にのっかって来てゴロッと転がり、僕の方を見てニャーなどと言っている。それではと本を閉じて物を書き出すと、今度は書いているその鉛筆にチョーり出す。全く性ない。

一人暮らしの気ままさでトイレもろくにドアを閉めないまま用を足していたが、まくりあげた尻の後ろでニャーゴと鳴かれドキッとしたこともあった。

毎日家の中に閉じ込めて置くのはかわいそうだと思い、学校に連れて行くと、職員室中を駆け回り、疲れると座布団のある先生の椅子の上で横になり、退屈すると授業にまで顔を出して担当の先生につまみ出されたりしていた。

全くのやんちゃ坊主で天真爛漫と呼ぶにふさわしいその姿はなかなかに愛嬌があり、単調な僕の一人の生活に新鮮な空気を吹き込んでくれたことは確かだった。

 
しかし、かわいいばかりが猫ではない。この猫との共同生活のもう一面には数限りない凄まじい悪戦苦闘の日々があったことも知っておいていただきたい。

一番の難点は、猫がほどほどという状態を凡そ知らないということである。例えば僕が、学校では猫のためにあちらこちらで非難を浴び、家でも風呂やトイレまでも共にし、朝から晩まで疲れ切っているのだから、せめて寝るときくらいは一人で静かに眠りたいと思う、そういう当然の心理を理解してはくれない。

当初はまだ小さくて階段を上ることが出来なかったから、それを良いことに二階に上がり布団に入ってしまおうとしたのだが、猫はそれに気付くと階段の上り口まで来てニャーニャーと鳴き、僕が顔を出すまで、そのうちニャァニャァと切れ切れのいかにも哀れな声になりながら、いつまでも鳴いている。

僕はそれを聞きながら、この声に負けてはイカン、と意を決して布団を被っているのだが、どうにも静寂の中の猫の声は耳に付くし、そのうちバタッドタッと猫が階段を上り損ねて転がっている音がして来たりもする。こうなると仕方がない。敗北。寝床に連れて来るしかない。

うんざりしながら布団を被ると、遊び足りないらしく、僕の唇や鼻にちょっかいを出して来る。耳たぶに熱い吐息をかけて来たりもする。うるさいので布団の中に強引に突っ込むのだが、すぐに出て来てあごや唇をペロペロとなめる。

それならと横を向くと、またも顔の前に来てちょっかいを出す。180°回転して反対向きになると、どうにも顔の正面にいないと気が済まないらしく、またも視界に入って来てちょっかいを出し始める。しかもその移動は枕元を回るなどという気のきいた事はせず、僕の頭をよじ登り、顔の上をドタドタと歩いて反対側にドテッと落ちるのである。

そんなことを何回も繰り返す訳だから、いくらどんなところでもすぐに寝られることが特技の僕であっても、寝られようものではない。いいかげんにしろと猫を睨みつけると、猫は構ってくれるものと思うらしく、前足を上げて反応する用意をしたりなどしている。
当初は毎晩がこんな調子。睡眠不足でイライラすること甚だしかったのである。

それだけではない。猫は大小便は一度その場所を覚えれば、あとは難なくそこの場所で用を足してくれる優秀な生き物だが、人生が限りない落とし穴の連続であるように、この件においてもやはり盲点が存在し、とんだ所で思わぬ不覚を取ることもあった。

最初は初めて猫と寝た朝のことだったが、目覚めてみると猫が枕元でその構えに入っており、既に畳の上にずんずんと小便の輪が広がっている。あーっと思ったが後の祭りである。猫は排尿を終えて、砂もないのに足で畳を引っ掻いたりなどしている。2階に上がったものの、まだ小さくて階段を降りられず、一階の玄関に設置した菓子箱のトイレに辿り着けなかったのである。

一番ショックだったのは、一週間ほど経ち、猫がそろそろ階段を上れるようになったころのことだった。家に帰って来ると、いつものようには玄関に迎えに出て来ないので、どうしたのかと思って名を呼ぶと、二階でニャーゴニャーゴという返事が聞こえる。

「階段を上れるようになったんだ」と感心して階段まで行ってみると、上で猫はちょこんと座って待っている。「来い」と呼ぶと、それなりに降りたそうなそぶりは見せるのだが、上りはともかく下りはまだ怖くて降りて来られないらしい。

そこで二階まで行くと、何やら二階全体にイヤーな臭いが漂っている。さてはと思い、慌ててその辺りを探してみるが見当たらない。「お前どこでやったんだ」と猫をつかまえて聞いてはみるが答える筈もない。

ふと、取り込んであった洗濯物の山に目をやると、僕は元来不精で洗濯はそれなりにしたことはしたが、それをたたむことはせずに、いつも取り込んだまま山にしておき、必要なときに必要なものをその山の中から取り出すことを主義としていたのだが、その山に黄色いドロドロとした液状のものが、あちこちヌターッとついているのを発見した。

一瞬気の遠くなるような思いがしたが、着るものが少ない僕のこと、猫の糞がついたからと言って、これをひと山簡単に捨てるだけの度胸はない。仕方なく風呂場に持って行って、残り湯の中に投げ込んで再生を試みる。小一時間もして覗きに行ってみると、湯舟の水面に白く膜状になって「そのもの」が浮いている。それを風呂桶で掬う時の情けなさは経験した者でなければとても分かるまい。


後日談になるが、結婚するときカミさんが僕の布団を見て驚いていた。敷布団も掛け布団も真っ黒だという。言われてみれば大学時代から使っている布団で、敷布はオフクロが縫い付けてあったので、確かに一度も洗ったことはなかった。つまり汚くて当然に違いなかった。思えばかれこれ8年半になろうとしているのである。常に万年床であったから、内側の汚さには余り目が向かなかったと見える。

照れ隠しに「これは使えるだろう」と上等だと思っていた毛布を自信をもって差し出すと「何だか臭い」と言う。「俺の匂いの染み付いた毛布を臭いとは何事だ」と思ったが、自分で嗅いでみると確かに臭い。

これがなんと、猫の小便の臭いだったのである。ふと心づいて敷布団を見てみると、そこにも二箇所、大きなしみがあって、同じ臭いが漂って来る。猫の野郎、万年床という盲点をついて僕の布団をトイレ代わりにしていたのだ。

しかしそうとも知らず、その布団と毛布にくるまって一年以上も安眠していたとは。この情けなさも経験者でなければ分かるまい。風呂に入ってゴシゴシと身を清めたが、これも全く無意味な悪あがきではある。


その後、最初の猫は夏に旅行に行く時に実家に預け、これ幸いとばかりそのままにし、もう一匹は知らぬ間にどこかに行ってしまった。それぞれどこかで、それぞれの数奇な運命をたどっていることと思うが、例えば前者の猫は兄貴の子供に足をつかまれて振り回され、そのままブロック塀にぶつけられ、人間不信に陥ったという話を聞いた。僕の方は本当にホッとした。平和な日々がようやく帰って来たと思えたからである。

しかしこれも後日談になるが、猫がいなくなって一週間ほどたつと、体のそこここに異常な痒みを感じるようになった。よくよく調べてみるとノミ。猫の置き土産なのである。
しばらくして収まったには収まったが、僕の後にあの部屋に独身の若い女の先生が入った。ノミに食われていないかと多少気掛かりではあるが、それもまた人生における一興であろうと僕は確信している。

一人暮らしをしていた時分の猫との暮らしの記録である。

(土竜のひとりごと:第19話)


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