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第214話:明石海人という歌人

昨日、長島愛生園で、1931~56に死亡したハンセン病患者の死亡者の8割、1834人の解剖録が発見されたというニュースが報道されました。
ハンセン病については以前に書いたものと重複する所もありますが、明石海人という歌人の簡単な紹介をしてみたいと思います。
よろしければ、こちらもご覧ください。


🔳明石海人の一生


明石海人(本名野田勝太郎)は明治34年に駿東郡方浜村(現沼津市)に生まれました。片浜尋常小学校から沼津商業学校を経て、静岡師範学校(現静岡大学教育学部)に進みます。卒業後は教員として、原、伝法、須津、富士根の各尋常高等小学校に勤務し、須津尋常高等小学校で出会った浅子と結婚、子どもにも恵まれました。しかし、25歳でハンセン病を発病。妻子と別れ、特効薬を求めて明石に向かい、療養地を転々とした後、岡山県の小島に建設された国立療養所「長島愛生園」に隔離収容されます。

この「長島愛生園」で若き最晩年の日々を送ることになりますが、病は、失明、喉頭狭窄による気管切開と確実に死に向かって進んで行きます。自分が蝕まれていくその苦しみと闘いながら、それでも海人は短歌を紡ぎ、昭和13年、改造社から出された『新万葉集』に11首が入選。これにより一気に評価が高まり、昭和14年2月、歌集『白描』が出版されます。この歌集は歌集としては異例の売れ行きを記録しました。しかし、その4ヶ月足らず後の6月9日、海人はその生涯を閉じることになります。わずか37年の生涯でした。

🔲明石海人の歌


明石海人の歌は『白描』のほか、死後、『白描』未収録の歌をまとめた『海人遺稿』(昭和14年刊)や『明石海人全集』(昭和16年刊)で確認することができます。
いま『白描』を手に開き、ここから二つのことをお伝えしたいと思います。単に書き抜くだけですが、海人からのメッセージに耳を傾けていただければと思います。(ヨミは筆者)

ひとつは海人の歌です。5首を採り上げてみます。

A 妻は母に母は父に言ふわが病襖へだててその聲を聞く 
B 拭へども拭へども去らぬ眼のくもり物言ひさして聲を呑みたり
C わが指の頂にきて金花蟲(たまむし)のけはひはやがて羽根ひらきたり
D さくら花かつ散る今日の夕暮れを幾世の底より鐘のなりくる 
E シルレア紀の地層は沓(とほ)きそのかみを海の蠍の我も棲みけむ


A 二十五歳:病の宣告を受けた時の作品
B 三十五歳:失明の初期症状を自覚した時の作品
C 県立沼津商業高校内の碑
D・E 千本浜公園内の碑

『白描』は二部構成になっています。第一部「白描」は病から生まれる苦悩を直截的、伝記的に歌ったもので A・B の歌がこれに該当します。一方、第二部「翳」はそこから一歩離れ、深く洗練された表現を追求しています。C・D・E は平成13年、生誕百年を記念して建立された沼津市内の歌碑に刻まれた歌から採りましたが、どれも「翳」の中の作品。奥行きのあるイメージを与えてくれています。

■「癩はまた天啓でもあった

もうひとつお伝えしたいのが、『白描』の「序」です。そのままここに引用します。海人の思いを何に拠るよりも明確にとらえることができると思います。

癩は天刑である。
加わる苔(しもと)の一つ一つに、嗚咽し慟哭しあるひは呻吟しながら、私は苦患(くげん)の闇をかき捜つて一縷(いちる)の光を渇き求めた。
深海に生きる魚族のやうに、自らが燃えなければ何處にも光はない。 
さう感じ得たのは病がすでに膏肓(こうこう)に入ってからであった。
齢三十を超えて短歌を學び、あらためて己れを見、人を見、山川草木を見るに及んで、己が棲む大地の如何に美しく、また厳しいかを身をもって感じ、積年の苦渋をその一首一首に放射して時には流涕し時には抃舞(べんぶ)しながら、肉身に生きる己れを祝福した。
人の世を脱れて人の世を知り、骨肉と離れて愛を信じ、明を失って内にひらく青山白雲をも見た。
癩はまた天啓でもあった。

「天刑」は「天がくだす刑罰」。当時「業病」とも「天刑病」とも言われたこの病を「天啓」(天の啓示)と表現する海人。苦しみ抜いた人だけに見える「青山白雲」がある。そんなふうに言えるでしょうか。

明石海人は千本浜にほど近い沼津市西間門の共同墓地に眠っています。『白描』が出たとき「本書の歌は、癩文学といふ語の感じに最も適はしい深刻さと、癩文学といふ語の感じとは最も縁遠い浄らかさと匂やかさを併せ持つ」という広告の文章があったそうですが、彼の歌は、ハンセン病の視点でとらえても、また純粋に文学としてとらえても、考え、感じさせるものを多く持っています。再び「光」を当ててみたい歌人のひとりです。


■【参考文献】
『明石海人全集』改造社
『白描』改造社
『慟哭の歌人』村松好之/著 小峰書店
『よみがえる万葉歌人 明石海人』荒波力//著 新潮社
『歌人明石海人』岡野久代/著 静岡新聞社
『海の蠍』山下多恵子/著 未知谷
「静岡の文化15号」
※明石海人の歌は岩波新書『折々の歌』(大岡信著)のシリーズに5首採録されています。


■写真

沼津市千本浜公園の歌碑(上記 D の歌)

明石1


沼津商業高等学校内の歌碑(上記 C の歌)

明石2

西間門の共同墓地にある海人の墓

明石3


静岡県内には御殿場市神山に二つのハンセン病関連施設があります。テストウィード神父が開設した日本初のハンセン病療養所である「復生病院」(記念館も開設)。また今もハンセン病の方たちの治療が続けられている「駿河療養所」。HPには分かりやすい病気の解説等がありますので参考にしていただければと思います。
ハンセン病は薬の開発により、今まさに根絶されようとしている病気ですが、病気に対する誤った認識からいわれなき偏見にさらされた歴史や、らい予防法によって政治的にも差別された人々の心の傷は、あらゆる差別への警鐘として記憶されていく必要があります。

(土竜のひとりごと:第214話)


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