第156話:現実逃避短歌
先日の秋の一日、久しぶりにのんびりと山歩きをしたのであるが、蓑虫を見たのをきっかけに、ふと短歌が口をついて出ると同時に、現実逃避の世界に入った。
およそやる気に欠けるくだらぬ世界なので、読まずにパスしていただければ幸いである。
第1章
日溜まりに蓑虫を発見する。
●この温い寂しさがいい ぽかぽかと日溜まりにいるみのむしといる
心地よい風に蓑虫がふらりと揺れる。
●風吹けばゆらりと風に揺れていてみのむしといふ生き方もいい
空が青い。
●青空をふかりふかりと雲がゆき旅に出てみたくなるみのむし
ほのぼのとした童画的な「軽み」の中に、豆腐を握りつぶした時のような徒労感がある。
そう言えば前の夏にもみのむしの歌を作ったのを思い出した。
●片恋の恋に身を病む蓑虫の切なさのようだ 酷暑
●恋をする蓑虫がつく溜め息をあつめて モコモコの入道雲
●入道雲は君へのSpeech balloon、好きだよと書き込んでみたいけれど蓑虫
どうも、僕は蓑虫が好なのかもしれない。
第2章
さて、この蓑虫と対話を試みる。
『蓑虫との対話』・・何か哲学的なにおいがして、歌集のタイトルになりそうなフレーズである。
●「北朝鮮が核実験をしたんだ」と、そう蓑虫に言いていたりき
台詞を変えれば無限に歌ができそうだ。
●汗をかかず金を儲けるやつがいる そう蓑虫に言いていたりき
とか。
意味がほとんど不明だが、構わず蓑虫との対話を続ける。
●ウルトラマンがなぜ闘うか知ってるか?帰るとビールが待ってるからさ。
投げやりだなあ・・。
第3章
少し蓑虫から離れよう。
●秋の日は木洩れ日に寝転がっているどんぐりでも俺はよかったんだが
この歌は人間であることを放擲している。
でもこんな気分になることが人間だったら一回はあるかもしれない。
それにしてもいい天気だ。
●寂しさもほわりほわりと温かく土竜が海を見ていそうな日
唐突に土竜と海に飛躍してしまったが、生きることの哀感がほのぼのとにじみ出ている。
海に潜ろう。
●生きるとはただ漂うているだけのふわりふわりとふわりと海月
この歌は深い。
次は、宇宙から俯瞰してみよう。
●球体のちいさな凸である僕のぐるんぐるんと青い寂しさ
今度は時間を飛び越えてみる。
●俺はかつて風鈴だったこともありふらりと風に吹かれていたい
さては、俺の前世はとうとう風鈴だったか?
それにしても「ふわり」とか「ゆらり」とかそんなのばっかりだ。
●菜の花に菜の花揺らす風が吹きどうだっていいことばかりたくさん
投げやりだなあ・・。
第4章
少し前向きになろう。
●くぬぎの葉踏みゆきながらざくざくと僕は僕であらねばならぬ
なかなかいいではないか。
やればできる。
●わたくしの哀しみの中まっすぐに空を指し立つ楡の木がある
電信柱も飛行機雲もまっすぐなものは無口で愚直で哀しい。
●立ちつくす樹の哀しみを吹き抜けて風吹けば風輝く日照雨
樹木もそう。
第5章
でもなぜ哀しいのか。
●若さとは青き真水を身に抱き 輝いても輝いても孤独
「そう、青い真水を心に抱いているから」
と、気障な台詞を言っても許された10代のころが、昔、僕にもあったような気がしないでもない。
いまオジサンの心に溜まっているのは「疲労」。
日々、高校生に遊ばれている。
楽しみは晩酌。「おでん」をつまみに。
●教室という四角い箱はごとごととごとごとと煮らるるおでん
これはなかなか味のある歌である気がする。
さて、明日は現実に戻ることにしよう。
■土竜のひとりごと:第100話
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