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第108話:風の時間

これは昔書いた記事で、中に「10年後の僕は50歳」とあり、「今年が21世紀最初の年」とあるので、2001(平成13)年に書いたものと思われる。そのつもりでお読みいただきたい。

先日、卒業したばかりの教え子たちが遊びに来て、ひとしきり賑やかにしゃべって行った。

1年生のとき担任をして、そのまま僕は転勤してしまったが、個性あふれる、しかもなんだかよくまとまったクラスで、僕は彼ら彼女らに出会えたことを心から感謝している。
必ずしも優等生の集まりではなかったが、限りなく愛すべき仲間たちであった。だからこうして寄り集まってする他愛ないおしゃべりも、屈託がなく、聞いていて楽しい。

彼女たちは、その後の高校生活や進路先のこと、他のクラスメートの様子など、あっちへ行ったりこっちへ行ったり、コロコロと笑いながら話していく。

ちょうど21世紀を迎えたばかりの折で、そんな話題も場にのぼるが、何だか唖然とするやり取りもある。

「先生、今年が21世紀で、去年が20世紀だったんだから、来年は22世紀だよね」と一人が言う。

おいおい。確かに去年までは20世紀で、今年から21世紀に入ったんだが、それじゃ1世紀は1年になっちまう。

「違う」と言おうとすると、さすがに、すかさず別の一人が
「ばか」と反撃する。
「あんた何言ってんの。2001年の今年から21世紀が始まったんだよ。去年は20世紀最後の年だったの」と。

そう、そのとおり。いいぞと頷いていると、
「だから22世紀は3001 年から始まるんだよ。ね、先生」と言う。

「ね、先生」と同意を求められても困ってしまうわけで、1世紀は1年でも1000年でもないんだよと思わず悲しみが込み上げて来てしまう。

100年の世紀の変わり目を生きることも一生に一度あるかないかのことであり、ましてそれに1000年に一度の大きな区切れ目が重なったわけで、混乱するのもやむをえないが、教育とは何かと僕はその夜、酒を飲みながら、深く深く考えたのであった。


人間が実感できる時の量はどれくらいなのだろうとふと考えることがある。
しかし、これはむなしい疑問かもしれない。

あの星の光は20億光年前に発せられたものだなんて言われてもチンプンカンプンであるし、1000年前に紫式部が源氏物語を書いたなんて聞いてもフーンと思うだけである。100年てどれくらいだろうとかなり譲歩して思ってみるが、それでも薄ぼんやりとしてつかめない。

ちなみに100年前に何があったかというと、
1894年に日清戦争、
1904年に日露戦争が起こり、
1901年に晶子の「みだれ髪」、
1905年に漱石の「吾輩は猫である」が出ているが、
歴史や文学史で習った眠くて苦しい思いしかなく、とても実感とは程遠い。

我々庶民が千円や1万円までは実感が持てても、100万円となるとややピンぼけし、1000万円となると首を傾げ、1億円となると雲のように実態を見失ってしまうのと似ている。
また例えば、それが広大であることを「東京ドーム○個分」とたとえたりするわけだが、しかし、それは東京ドームの大きさでさえイメージできているかどうか、実のところよくわかっていないのと似ている。
男が女の気持ちを、人が他人の気持ちを理解しきれないことと似ているかもしれない。

朝が来て夜が来て1日が終わる。春が過ぎて夏が来る。紅白歌合戦が終わると新年が来る。昭和が終わると平成になる。
毎日、愛したり、憎んだり、泣いたり、笑ったり、戦争したり、感動したり、サッカーしたり、結婚したり、映画を観て泣いたり、テストの点に一喜一憂したりして生きている。

そして僕は消滅し、また新しい命がどこかで生まれる。
時間の流れの中の、広大な宇宙の中の一点に、ただ意識を与えられて生まれ暮らしている。意味を問えない混沌の中で浮遊しているようにも思える。

そういう僕らとは何なのだろう。

人はみな風の時間を与えられ 秋の野にふと置かれた命

僕らは「風の時間」を生きているのかもしれない。
教え子たちの言う3001年とはどんな時代だろう。21世紀の始まりにそんなことを考えてみた。

現在時間は2024年、今の僕は63歳。
この記事の時点から23年が経過し、時は平成から令和に移っている。
あっという間の出来事である。

■土竜のひとりごと:第108話
→109話に続く


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