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第57話:校歌

高校に入学した当初、毎日が驚きの連続だった。入学式の翌日、上級生と新入生が顔を合わせる式があって、オジサンみたいな生徒会長が出て来てエラク大人っぽい挨拶をしたかと思ったら、後方でいきなりドンという太鼓の音とともに大きな声が発せられ、応援団が校歌を始め、続いて講堂が割れんばかりに全校生徒の声が轟いた。
会長の挨拶といい校歌の声といい、入学早々に中学生と高校生の違いを見せつけられた体で、何か異次元の空間に放り出されたような思いさえしたことを今も覚えている。

高校生活の始まりと共に歌唱指導が始まり、放課後一週間、上級生が1年生の教室に来て校歌の指導をした。校歌と第一・第二のそれぞれの応援歌と寮歌と、何種類かのエールの合わせ方を指導されたのである。

何も知らない僕らはさもないことと思っていたのだが、始まってみるとこれがドエラク恐ろしいもので、まず教室の戸がバーン音を立てて開けられ、続けて突然机が蹴られてガッターンという大きな音を立てて倒れる。オジサンみたいな上級生が入って来てズラズラと教壇に並び、ドスのきいた太い声で一人が「今から歌唱指導を始める。ウッス」と言うと並んだ団員から「オーッス」という迫力のある声が響く。

姿勢が悪いと後ろからド突かれ、声が小さければ耳元で「それでも歌っているのか」と怒鳴られる。精一杯声を出しても「声を出せ」とガナリ立てられる。容赦はない。手の振りが悪ければ手を払いとばされ、声が小さいと思われれば、教壇に連れて行かれて、一人で歌わされた。
それまでには味わったことがない緊張感である。

中には逃げ出してつかまった奴がいるという噂を聞いたりしたが、「そこがいないのは何だ」と聞かれて「欠席であります」などと思わず軍隊っぽい口調になってしまうのもおもしろいと言えばおもしろい。時々、黒板がバンとたたかれ、イスが蹴倒される。そのたびにみんなの背が一瞬ピンとするのである。

そんなふうで僕らはあっと言う間に校歌を覚え、しかも校歌というやつは叫けばんばかりの大声で歌うものだということを覚えたのである。別に上級生に悪意があったわけではなく、僕らが高校生になるための一種の通過儀礼ということになるのだろう。
ひどい目にあったという思いは全く残らず、どういうものか校歌は誇りを持ってガナリ立てるものと自然なっていた。学校に対する誇りなどという問題は置いておいて、集団の中でなんの恥じらいもためらいもなくバカ声が出せるには、この種の体験が必要だったのかもしれない。

全く無縁の話だが、僕の恩師は大学でクラブに入ったとき、先輩に便所掃除を命じられたのだが便所に行ったところ掃除用具が全くなかったのだそうである。どうしようかとウロウロしていたところに先輩が来て「何をしてる。便所掃除っていうのはこうやるんだ」と言っていきなり素手で便器をゴシゴシ洗い始めたのだそうである。

ギョッとするほど愚かしい話だが愚かしいなりに、確かにそこが今までいた空間とは異種の空間であり、自分を変えなければならないと直感させるだけの力を持つ体験ではある。それはある意味でのではないかと思う。無論それが良いというわけではないが。


大学時代にも校歌はよく歌った。体育会だったから公式行事など、事あるたびに必ず校歌は歌われたし、何よりも試合のたびに校歌、エール交換は必要だった。酒を飲むと最後は必ず校歌になり、そこが飲み屋であろうが、道の真ん中であろうが、駅の構内であろうが、みんなで肩を組んで歌うことになる。なぜこんなに校歌ばかり歌うのだろうと思うほど、校歌はよく歌った。

神戸の大学と定期戦をやっていたので、一年置きに東京駅と新大阪駅の新幹線のホームでエール交換も行った。お互いが列車の前で相手を迎え、他の客が何事かと驚く中、整列し、校歌を歌い、エールを交わすのである。


昨今の高校生は校歌など歌わず、集会で歌う時もブラスバンドの演奏がただ鳴り響くだけになった。カラオケが全盛期の昨今、マイクを持つと気が狂ったかと思われるほど絶叫するあの爆発力が校歌に向かないのは、不思議でもあり、また当然のことのようにも思われるが、少なくとも校歌が僕らの頃のような象徴的な位置にあるものではなくなってきたとは言えるだろう。

生徒の意識自体が変わったとも言えるが、学校というものの中に特別であったり、異常であったりする、正しき意味における通過儀礼がなくなり、均質化して来ているのだと思う。
かつてはそこにあった「新たなものに触れた感じ」や「共に生きている感じ」は従って極めて個人化、グループ化して学校の外に向く傾向にある。

ただ、それは回顧の位置から見れば後退かもしれないが、進行していく時代においては同一の価値観に染まることを拒否する新しい価値観なのかもしれない。


数年前に母校に教員として赴任した。
未だ応援団も歌唱指導もガナり立てる校歌も残っていたが、最初の新任式で僕らを迎えてくれたのは、その校歌が合唱部を筆頭に全校生徒が美しいハーモニーを奏でる三部合唱だった。その心地よいハーモニーに魅了されながら、時代は変わったと思いつつ、これもいいと思った。

(土竜のひとりごと:第57話)

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