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第142話:パチンコ屋の女

人生には「もう二度とないだろう」という瞬間があって、芸術家などというのは、その一瞬をことばや絵や写真や音符によって、ひとつの普遍的な形に昇華させることができる種類の人達であるのだろうと時々思う。

近藤芳美
たちまちに君の姿を霧閉ざし 或る楽章をわれは思ひき
小野茂樹
あの夏の数限りないそしてまたたったひとつの表情をせよ
吉川宏志
花水木の道があれより長くても短くても愛を告げられなかった

これらは短歌における永遠のラブソングとして愛唱されているものだが、一瞬を謳いあげて、しかも美しい。それはその一瞬が恐らく人生の中でたった一回きりの一瞬だからなのかもしれない。
恐らく誰にもそうした一瞬一瞬があり、したがって誰もが詩人になる可能性を持って生きているのだが、また誰もがそうした一瞬に立ち止まれるわけでもない。思えば惜しいことをしているものである。


そこでここでは、僕の「もう二度とないだろう」という品のない体験について備忘のために書き留めておきたい。


それは春のある雨の降る日の出来事だった。
僕は雨降りのつれづれにまかせてパチンコに出かけたのである。店は混んでいて、しばらく待ってやっと台に座ることができた。
しばらく打つが当たりは来ない。
コーヒーを買いに立ち外を見ると雨の降りがひどくなっていて、遠くで雷も鳴っている。

あと少し打って早目に帰るかと席に戻ると、隣の台にさっきまでいたおばさんに替わって赤い服を着た若い女が座っている。

別に気にも留めないで打ち始めたが、しばらくすると「当たらないですね」と女が声をかけてきた。
透明感のある、でも温かい声である。
「そうですね」と言いながら女を見ると、これが美しい。ちょっと美しすぎるくらい美しいのである。
一瞬はっとすると、その気配が女にも伝わったのか、女はにこっと微笑んでから自分の台に目を戻した。

突然、稲光がし、数秒後パチンコ屋の喧噪の中でも分かるほど雷鳴が鋭くとどろいた。
女がこちらを向き「雷ね」と声をかけてきた。

そして僕の台を見ながら「それ、もうすぐ来るわ」と唐突に言った。
僕が「えっ」と言って女の方を向くと
「あなたの台、当たるわよ」と言う。
一瞬、何を言い出すのかと思って女の方を見たが、それだけ言って女は視線を自分の台に戻してしまったので、なんだかよく分からないまま、それ以上聞くのをやめて僕も台に目を移した。

どうせあてずっぽうに決まっていると思ったが、不思議なことにそれから台の回りが明らかに良くなり、いくらもしないうちにリーチがかかって、あれよあれよという間に7がそろってしまった。

女もこっちを見ている。
「本当に来たね」と女に声をかけると、
涼しげな顔をして「ね、言ったとおりでしょ。でもね、続かないわよ。3回で終わりだからさっと上がった方がいいわ」と言う。
「えっ、そうなの?」と言うと、
女はあっさり「そうなの」と答える。

なぜそう断言するのかその理由を聞いてみたかったが、それだけ言うと女はあっさりと、すぐにまた目を自分の台に戻してしまった。

よっぽど通って台をよく知っているのだろうとも思われたが、なんだかそれだけではない不思議な雰囲気を持つ女だった。
若い女でパチンコ屋に入り浸るような崩れた感じもない。

取り残されたようなもてあそばれているような、変な気持ちになりながら、出てくる玉を箱に落としていると、2箱目が終わり、2回目の確変に入った頃、女がふとまた声をかけてきた。

今度はニコニコしながら悪戯っ子のように目を輝かせて、「ねっ、よく雷で停電になることがあるでしょ。そういうときパチンコ屋はどうなると思う?」と言う。

そんなことは知るはずもなく、「えっ?」と言うと、それを楽しむように微笑みながらまた自分の台の方を向いてしまった。

馬鹿にされているような気にもなったが、小悪魔的な美しい女の目が妙に頭に残って、それ以上不快な思いにもならない。
女の方を見ると、いかにも楽しそうに目を輝かせながら台に顔を向けている。こちらから声をかけるのも何となく憚られて、再び目を戻す。完全に主導権を握られたかたちである。

台は相変わらず景気よく玉を出していたが、3回目の当たりももう終わろうとしていた。女の予言通り当たりは3回で終わりだった。
「偶然に過ぎないだろうが、雨もひどいしこれで切り上げるとしよう」
そう思って椅子から立ち上がろうとしたその瞬間だった。

突然、鋭い稲妻が閃き天が割れるような雷鳴が轟いた。

それと殆ど同時にパチンコ屋の中は真っ暗になり、その闇の中に再度、鋭い光と雷鳴が響き渡った。
近くに雷が落ちた事による停電であろう。


店内は闇の中で騒然としている20秒も経っただろうか、程なく灯りは回復した。

「おおっ」というどよめきが起こる。
するとその直後、誰かが「オレの当たりはどうなるんだ」と店員に向かって叫んだ。確変の最中だったらしい。それが停電で元の状態に戻ってしまっていたのである。
それでみんな我に返ったのか、それを合図のように、「オレのもだよ」「補償してくれるんだよな」と似たような声があちこちであがった。

すかさず店員が「だめだめ。雷は。ちゃんとあそこに書いてあるよ」とそれを大声で打ち消す。
「ひでーな。オレは当たったばっかりだったんだぞ」と怒号とも溜め息ともつかない声が聞こえてくる。

僕は立ったまま、そんな喧噪を何となく聞き流していたが、既に当たりが終わっている僕にとっては所詮他人事だった。

喧噪の中で僕はふと心付いてあの女を探してみたのだが、どこにもその姿を見つけることが出来なかった。
その後、あの店でその女の姿を見ることもない。
全く夢のように不思議なできごとだったのである。


パチンコなどという愚かな遊びにも神秘で詩的な瞬間があるという証左となろう。
そこで、一首。

パーセントと書くべきところパチンコと書いて出してしまった書類  

冒頭の三首を汚すような愚作であり、この話に冒頭のロマンチックな枕を書いたことを深く反省している。


■土竜のひとりごと:第142話

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