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第121話:ふうらり生きる

これはくだらなすぎる話なので、ぜひ素通りしていただきたい。

毎年、冬休みに入ると年賀状との悪戦苦闘が始まる。印刷やパソコンで作れば楽なのだが、何だかそれではいけないような気がして版画を彫ったりしているからである。
版画は小学校以来続けていて、昔はそれなりに凝ったりもしたのだが、ここ数年は百何十枚もゴシゴシ刷る気力がなくなり、2、3枚刷って、できのいいやつをプリントゴッコにかけて量産している。全くの手抜きで、版画で作っているなどと言うのもおこがましい状態ではある。

それならさほどの苦闘ではあるまいと思われるかもしれないが、ここのところ風景や干支を彫るのをやめて「ことば」を彫ることにしていて、この「ことば」を考えるのがえらく大変な手間なのである。
「ことば」と言っても、挨拶や格言ではない。
ちなみに過去のいくつかを挙げてみると、

今日怠けることにも疲れて酒を飲むと僕のなかでころ一んころ一んと音がしたのだ

とか、

僕は今狭間はざまだ 風に吹かれてひゃうと鳴る

とか、

きのう月から届いた手紙にるるるるると書いてあった

などという、極めて高尚かつ哲学的な示唆に富む詩のワンフレーズのようなものである。

結婚した年はカミさんもこれを使ったのだが、友達に「ずいぶん変わった年賀状」と言われたそうで、以来、自分は自分で作っている。
「使っていいよ」と言うのだが、「ううん。わたしは普通のでいいの」と柔らかい拒絶にあう。「普通って何?」と思いつつ、「使えば?」と更に勧めると、「結構です」とあからさまに拒否される。絶対に使いたくないらしい。
「所詮、僕の深遠さは理解されない」と思うわけで家出してみたくなったりするわけだが、ともかく、この「ことば」をひねり出すのがなかなかに大変なのである。

そんなわけで今年も、この意味不明といわれる「ことば」との格闘を開始したのだが全くイメージが湧いて来ない。ヒントでもあるかと思い手帳を引っ張り出してめくってみる。
本の名前やら、エッセイのネタやらが何の秩序もなく書き付けてあるのだが、その中に「どんぐり四首」とあって短歌が書き付けられていた。なかなかほのぼのとしている。

・ポケットにどんぐりの実がひとつありどんぐりころころひとりがいいさ
・どんぐりの色はどんぐり色にしてどんぐり色はどんぐりの色
・ポケットにどんぐりの実を眠らせて課長の罵声にひたすら耐える
・いま遠く銀河を渡りゆく風を聴きゐるごとくどんぐりとゐる

これでいいやと、すぐ易きに流れる僕は思ったわけだが、どれも意味不明であって年賀状にはいま一歩ふさわしくない。
そこで仕方なく、改作を試みることにした。

どんぐりの歌だからほのぼのと。「どんぐりころころ」は軽快だから使いたい。少年の心をポケットにしまって僕は生きてるよ、くらいならこんな感じ?

ポケットにどんぐりの実を遊ばせてどんぐりころころ・・生きる

あとは・・に4文字を入れればいいのだがなかなか難しい。
ゆっくり生きる
優しく生きる
静かに生きる
夢見て生きる・・
当たり前で面白くない。僕らしいといえば、
怠けて生きる
のんびり生きる
ちひさく生きる・・
くらいになろうが、歌の中に置くと映えない。どんぐりだから
茶色く生きる
という線も浮かんだが、意味が不明だろう。
もっと僕らしくというと、
ぼそぼそ生きる
おたおた生きる
かすかに生きる
ぼちぼち生きる
のたのた生きる
よぼよぼ生きる
こそこそ生きる・・
となるが、何だかこれを年賀状に書くのは自分がかわいそうである。

でもこの線でオノマトペを使う手はいいかもしれない。「どんぐりころころ」だから「○ろ○ろ」の語呂合わせを考えてみよう。ということで、五十音順にやっていってみる。
いろいろ生きる
うろうろ生きる
えろえろ生きる
おろおろ生きる
けろけろ生きる
ころころ生きる
そろそろ生きる
とろとろ生きる
のろのろ生きる
へろへろ生きる
ほろほろ生きる
よろよろ生きる
・・まともなのがひとつもない。

ふと、「ごろごろ」にしようと何故か確信のように思い至った。「ころころ」と「ごろごろ」はつながりがいい。音のつながりで「ころころ」までを序として、「ごろごろ生きる」を導き出すと考えれば歌の筋にもかなっている。
というわけで、

ポケットにどんぐりの実を遊ばせてどんぐりころころごろごろ生きる

という歌が完成したのである。

早速、僕は愛すべき家族にこの自信作を披露した。素晴らしい賛辞があるはずだったが、結果は散々だった。

息子は「う一ん、何か」と口ごもったあと「『ごろごろ』が変だ」と言う。せっかく熟慮した箇所を否定されて、「そうか~?」と納得しきれずに言うと、「『遊ばせて』だから、もう少し楽しい感じの方がいいんじゃない」と鋭く指摘する。そうかもしれない。
そこで傍にいたカミさんに見せると、カミさんはやはり首をひねって「『ごろごろ』が変だわ」と、またも僕の苦心の跡を否定する。
半ば失意に暮れながら、「じゃあ、何かいいことばある?」と尋ねると、
「そうね」とちょっと考えて、
あなただったら、
よろよろ生きる、なんてどうかしら。
とろとろ生きる、でもいいわ。
ちんたら生きる、っていうのもあるし、
そうだ、たらたら生きる、がいいわ。
だらだら生きる、の方がいいかしらね
などと言う。
日頃の恨みをこんなときに晴らさなくてもいいと思うのだが、身から出た錆であって何とも抗弁しがたい。

仕方なく、僕はまた家出したい気持ちを押さえつつ振り出しに戻って考えることにした。確かに冷静になってもう一度読んでみると、「どんぐりころころごろごろ生きる」は語呂も悪いし気品もない。それでは、どうすればいい・・。
まあるく生きる
ふうわり生きる
さらりと生きる
ゆーらり生きる
ふうらり生きる・・
格闘は深夜にまで及び、更にいくつものことばが書き付けられては否定されていったのであるが、それをくどくどと書くことは、読者の皆さんにとっては欝陶しいだけであろうから割愛する。

結論を言えば、どう考えても歌にならず疲れ果て諦めた。
「オオ、僕の無駄な努力」と、目玉焼きにソースをかけてしまったときのように僕は落ち込み、またしても家出をしたくなったのだが、「でも無駄こそが生きるということだ」と勝手に自分を慰め、今年もまたノタノタボチボチ生きていこうとヨロヨロ思ったのだった。

以上、今年の年賀状作成奮戦記である。
最後まで読んでしまった方は「無駄」な時間を使ったと思われたに違いない。ご容赦願いたい。

せっかくだからこれをコピー化してみた。

ふわりと暮らす。ふうらり生きる。

童画的かつ哲学的!
JRのポスターに採用されそうな気がする。・・・今年もよろしく!


■土竜のひとりごと:第121話

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