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金のわらじ

かつて、地学専攻の同僚が研修で海外に行ったということで、地形やら地層やらの写真を撮って来てスライドにして生徒に見せたらしいのだが、その日の帰り、生徒が「先生、セナスって何?」と聞いて来た。「セナス?」と怪訝な顔をすると、「理科の先生が言ってた」と言う。

「何かの専門用語じゃないか」と適当に答えておいたのだが、一応セナスとは何か、その教員に後で聞いてみると、「何って、飛行機だよ。小さいプロペラの」と当ったり前じゃねーかという顔をして言う。

僕は「それはセスナだろ」と思ったが、本人の名誉のために黙っておいた。思えば彼は30年余もの間、一途にそう思い込んで来たのであって、それは感嘆に値することかもしれない。

ただ一概に彼を笑えないのは、我々には間違って覚えたまま勝手に正しいと思い込んで平然と使っていることがままあるからである。

ある友人はかなり大きくなるまで、かの有名な「荒城の月」を「工場の月」と勘違いしていたと告白してくれたし、「鯉のぼり」も「イラカの波と」と歌うべきところを「イナカの波と」と歌って何の異和感も感じていない人もいる。

ことばの音そのものは正しく受け取っていても意味を勘違いしている場合もあって、「うさぎおいし(追ひし)かの山」という名曲“ふるさと”を「残酷な歌よね。うさぎ食べちゃうなんてかわいそう」などと言う女子大生がいたというのも有名な話である。

ことわざや慣用句などにも、なんだか随分いい加減に覚えているのがある。「灯台下暗し」を、僕は小さい頃「東大モトクラシー」だと思い込んで、大正デモクラシーの親戚みたいなものだと思っていた。

ある英語の教員は「若気の至り」を「若さのイタゲ」と言っていたが、とても日本人とは思えない。「尾張名古屋は城でもつ」も「終わり名古屋」誤解している若者もいるだろう。

古典の授業で「宿世」を説明する時、「”袖すり合うもタショウの縁”を漢字で書いてごらん」と言うと、「多少」しか思い浮かばないようだが、でもそれでは小学生だと頭を?させている。この世に生まれる以前に多くの世を生きて来たということで「多生」(あるいは前世という他の世ということで他生)である。

そんなわけで我々は、甚だ曖昧に、またいい加減に生きているのである。


さて「金のわらじ」であるが、これは「一つ年上の女房は金のわらじを履いてでも探せ」という表現で人口に膾炙している。

「一つ姉は買うてでも持て」「一つ勝りの女房は金のわらじで探して持て」とことわざ辞典には出ている。要するに平たく言えば女房として一つ年上は理想的だということになる。

ただ大方の人はこれを「キンのわらじ」と言っているのだが、実はこれは「カネのわらじ」と読むのが正しい。確かにキンと読むと大事なものというイメージが強調されるような気もするが、事実はそうではないらしい。

また、カネとは読んでもお金のことではなく鉄のことで、ことわざ辞典の「金のわらじ」のところには「鉄製のわらじをはいて根気強くさがし回って歩く」と出ている。そうやって苦労して探すだけの価値が一つ年上の女房にはあるということになろう。

何故そうなのか、ことわざ辞典で「姉女房」を引いてみると、「年上の女房は夫を子供のようにかわいがって大事にする」「姉さん女房は家政をうまくおさめ、また夫によく仕えるので家庭が円満である」と出ている。

何故「一つ年上」なのかは微妙な謎だが、古来より言い伝えられていることだからそれなりの何かがあるに違いない。諸君も嫁サンや婿ドンを探すときの参考にされたい。


ところが、である。ウチのカミさんは何とその理想的な妻であるべき、一つ年上の女房なのである。

でも、この間もテレビで「御免下さい」と役者が言ったのに、「はーい」と返事をして台所から玄関に出て行くので、あっけに取られて見ていると戻って来て「何で教えてくれないのよ」と怒る。
30代頃までは中学生とよく間違えられたが、玄関にやって来たセールスマンに「お母さんはいる?」と問われて、「母はまだいません」と騙して見事に追い返していた。
かと思えば、電話で話しながら電話に向かってご丁寧に何度もお辞儀をする礼儀正しさも持っている。
いつだったか、隣の部屋で布団を敷いていたカミさんが「あっ、ばかっ」と声を上げるので何だろうと覗いてみると、「私、いま布団を敷いたのに、それを全部畳んじゃったの」と落ち込んでいた。

例えば、「三度目の正直」とも言うが、「二度あることは三度ある」とも言う。「君子危うきに近寄らず」と孔子様は言ったが、「虎穴にいらずんば虎児を得ず」と故事は言う。

ことわざとても万能ではない。「一つ年上の女房は金のわらじを履いてでも探せ」と言うのに、カミさんが制御不能なのは、若い頃、僕が常にサンダル履きで外出していたからかもしれない。

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