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第238話:叱られ方

夕方、妙な雲が出ていたので、つい、パチリ。
雲の間に小さく見えるのは富士山。

まるで空が怒っているかのようで、何か悪いことしたかなと、極めて安全運転しているのに向こうからパトカーが来てすれ違う時に何故かドキドキしてしまったりするのに似た気分になった。

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実は、部活の練習中にマナーに反する行動を取った生徒がいたので、その生徒を激怒してきた。
ので、ちょっと気分が悪く、そのまま車に乗って帰ってきたら、こんな雲と遭遇して、またちょっと気分が沈んだ。

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仕事をしていれば嫌なことはたくさんある。
今は歳を取って大概のことは平気で受け流せるようになり、若い頃のように思うようにいかずにイライラすることも少なくなった。

が、・・

教員稼業の宿命か、生徒の悪行?をとがめなければならない時がある。

若い頃は感情的になって、生徒との間に溝を作ってしまうこともあった。少し前の生徒は結構「やんちゃ」だったし、こちらも若いから操縦術など持たなかった。

尾崎豊の敵!だったかもしれない。

ただ、今はもう、感情的になることはない。怒鳴るには怒鳴るのだが、それは部活動の練習くらいでしかない。
それもイヤラシイ話にきこえるかもしれないが、計算して怒りを爆発させるようになった。そろそろこの辺で怒った方がよさそうだな・・みたいなタイミングを見計らって怒鳴る。

年に3,4回、「この人が何に対してどう怒るのか」ということを生徒が理解すればそれで十分。だいたい1年間の秩序が保たれる。

と簡単そうに言ってみたが、実は怒るのは難しい。
昨今の教育現場では体罰は勿論「言葉の暴力」と生徒に受け取られる怒り方?叱り方?は御法度とされる。無論、体罰はいけないだろうし、伝え方の問題もあろう。でも、本気で生徒にダメなことをダメと言えないのでは、それは教育ではないだろうとも思う。

そういう些末な立場論争はある意味どうでもいいが、今の生徒たちは概して大人に怒られる経験をしてきていないので、そういう否定に対する免疫を持っていないのが、むしろ怖い。
叱られたことが、自分が全否定されてしまったような衝撃として受け止められてしまうと、怒った後が心配でならない時がある。

数か月前、この生徒は大丈夫であろうと、ある部員を怒ったところ泣き出してしまった。男子部員である。
聞けば、今まで親にも先生にも怒られたことがないと言う。歯向かって来い!と思ったのに、なんとも予想もしなかった結果で、そこから2時間ほど、延々と話を聞きながらフォローをすることになった。これでは尾崎豊の敵にはなれない。

以前にも書いた話だが、笑い話として親に怒られた話を授業でする。僕らは子どもの頃に野球をしてガラスを割れば、オフクロに往復ビンタされた。悪さをすれば便所に閉じ込められ、「お前なんか橋の下から拾って来た子だから、どこへでもいっちまいな」と言われた。海の近くに住んでいた同僚は、悪さをすると防波堤から海に投げ込まれ「何度殺されるかと思った」と言っていた。

それがいいことかどうかは分からないが、そうして僕らは「自己否定」の免疫を作り上げて来たとも言える
褒められて伸ばされてきた今の若い世代が、「自己否定」に、どこで、どう対処する力を身につけるのか、そんなことがちょっと心配になったりする。


蛇足だが、結婚したばかりの頃、カミさんが夜中にうなされて起きたことがあったのだが、事情を聴いてみると、「あなたにめちゃくちゃに怒鳴られた夢を見た」と言う。「怒鳴ったことはない」と言ったが、実はということでカミさんが白状したには、僕の部活指導をこっそり覗きに来たそうで、その時、生徒を叱っている僕を見たそうなのである。
「あなたって、あんなに怒る人なんだ」・・「それで多分、あなたに怒鳴られている夢を見たの」と言っていた。普段、仏様のような僕だけに、そのギャップが衝撃だったらしい。


今の部活の生徒はよくできた子たちで、そういう僕の意図を見抜いていて、僕が怒鳴った時はその最中真剣な顔をして聞いているが、それが終わった瞬間、何事もなかったかのように「さ、やろう」と言って練習を始める。

僕が後腐れなく怒る妙技を体得したのか、はたまた全く甘く見られているのかは不明である。


■土竜のひとりごと:第238話


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