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第219話:胸痛テスト

[ 日本語雑話 :ぎなた読み]

ぎなた読みという言葉遊びがあって、これは文章の区切りを間違えて読んだり、またはわざと変えて読んだりすること。

弁慶が、なぎなたを、ふりまわし・・

というのを、

弁慶がな、ぎなたを、ふり回し・・

と読んだことに由来するらしい。


古典的な例で有名なところでは、

一休さんの逸話
ここではきものをぬぐべし
・ここで、履物を脱ぐべし
・ここでは、着物を脱ぐべし

近松門左衛門が数珠を注文した逸話
ふたえにしてくびにかけるじゅず
・二重にして、首にかける数珠
・二重にし、手首にかける数珠

これらの逸話は、どこまで真実か出典はわからないようだが、言葉遊びとしてはなかなかおもしろい。
ちょっと笑ってみたい方は、ネットで「ぎなた読み」と検索すれば無限に用例に出会える。「近藤、向かってこい」みたいな、ここでは紹介できないような下ネタもいっぱい出てきて、不謹慎だが、なかなか楽しい。

身近なところでは、小学生だった息子がお風呂の最中、どこで仕入れて来たのか、「ねえ、ちゃんと風呂入ってる?」と聞くので、今、入ってるじゃないかと言うと、「へぇー姉ちゃんと風呂入ってるんだ!」とのたまった。
同じく息子が、漢字ドリルをやっているのを見ていたら、「ほしいくつ」というのがあって、息子は「星幾つ」と読んで「幾つ」がわからないと言っていたが、正解は「欲しい靴」だった。また、「はながみをむすぶ」とあって、息子は「花紙を結ぶ」と書いたが、正解は「花が実を結ぶ」だった。

最近、テレビを観ていて、「やむを得ない」という表現の「を得ない」をひとかたまりにして言うアナウンサーがいたりして気になる。当然「やむを、得ない」でなければいけない。でもひょっとしたら、いつか、「やむえない」みたいな表記や、「おえない」に「負えない」みたいな漢字が当てられたりする時代が来たりするのだろうか。

「ぎなた読み」は基本的には、会話や仮名書きの中で成立するこれらの遊びだから漢字で書いてしまえば遊びとして成り立たないのだろう。
ただ、時代は変化していくので、こうした言葉もその変化の影響を受けていくかに見える。

例えば、常用漢字が定められて漢字が減らされて誤解が生まれることも多くなった。日本語の各音節の頭には漢字が来ることが多いので、漢字だった音節の頭がひらがなになるとかえって混乱が起こりやすい。
例えば新聞記事で「○○国で邦人拉致」という表記が「邦人ら致」と書かれるようになってみると、「邦人ら、致」ってなんだ?みたいな現象も起こる。
「彼とふ頭にやってきた」・・何が何だかわからないが、「彼と埠頭にやって来た」である。

もっと身近に実感するのはワープロの変換ミス。「ぎなた読み」のおもしろさが再燃しているように思う。
このあいだも、ワープロで「一般には解されない」と打ち込んだつもりが、「一般に破壊されない」と変換された。
あろうことか、「おみくじ」について書いている時、わるいくじと書いて変換したら、何の拍子か「÷育児」と変換されてしまった。
この手の「面白い変換ミス」もネットを検索すれば無限に出会える。ひとつだけ紹介すると、ぶらし、わすれた。わかる?・・もっときわどいのもある。

ワープロも日本語の変化に一役も二役も買うに違いない。


「ぎなた読み」から外れるが、ワープロの変換ミスは日常茶飯事。
格助詞の説明プリントを作って、タイトルを助詞の征服としたつもりが、女子の制服となっていて、女子生徒に白い目で見られた。
夏休みの学習についてプリントを作り共通テストに触れたのだが、それが胸痛テストとなっていることを生徒に指摘された。
でも、「胸が痛むテスト」・・「言い得て妙だ」と互いに納得してしまったが。


■土竜のひとりごと:第219話


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