第167話:芥川と茂吉の恋文
メールやラインが全盛の時代にあって、恋文など書く人はいなくなってしまったのではないかと思われるこのごろである。そもそも恋文などという言い方は全く古いのであって、せめてラブレターと言うべきかもしれないが、しかし、ラブレターという言い方にもそぐわない、まさに恋文というものがあって、今回はそれを紹介してみたい。
芥川龍之介が後に妻になる塚本文に送った有名な手紙である。
(長い手紙なのでここでは部分的に二箇所を切り取って引用)
これがあの芥川龍之介の文章かと思われるほど、素朴な文章である。でも、こういう朴訥とも言える素朴なことばには何か深い味わいが感じられ、心引かれるものがある。
これは芥川24歳の手紙で、この3年後、二人は結婚することになる。
その後芥川は、人妻との不倫、妻・文の友人女性との心中未遂など、波乱に満ちた恋愛を繰り返し、は35歳で自殺するという数奇な一生をたどるが、この手紙はそういうことを片鱗も感じさせない、淡々とした素朴、どこか静かに諭すようなあたたかさに溢れている。
二人が初めて顔を合わせたのは、芥川15歳の時。文は中学の同級生で親友の山本喜誉司の姪、当時はまだ7、8歳だった。
思わず18歳の光源氏が10歳の紫の上を北山で見つけたあのイメージを重ねてみたくもなったりしてしまうが、素朴に「好きです」と言われた感銘。この手紙は文夫人の、さまざまな苦悩の中で支えであり続けたものであるような気がしてならない。
もうひとつ、こんな恋文も紹介してみたい。齊藤茂吉が短歌の弟子である永井ふさ子に送った手紙である。二人は不倫の関係にあった。
茂吉は齋藤家に婿に入り、輝子という妻がいたが、この関係はほとんど壊滅的なほどうまくなかった。
芥川の手紙とは全く対照的な趣である。
これを女性に出すかと思われる大胆で露骨な表現。これが教科書で読んだ、あの歌聖と呼ばれた茂吉の手紙か!と思った方もおられるかもしれない。当時茂吉は52歳、永井ふさ子は24歳、二人の年齢差は28歳もある。
「弟子に手を付けた」とか、「老いらくの恋」とか言ってしまえばそれだけのことであるが、茂吉の根本にある満たされない思いや茂吉の生来の直情的な激しさを思わせて、僕には何だか好もしく感じられたりもする。
芥川の手紙は全集に採られているが、こちらは全集にはなく『斎藤茂吉 愛の手紙によせて』(求龍堂)という本にまとめられている。永井ふさ子が茂吉の死後十年を経てようやく公表を決意して世に出た。
茂吉らしいと思うにしろ、こんな奴だったのかと思うにしろ、茂吉の生のあり方を如実に見せてくれる貴重な資料だろう。
ちなみに永井は生涯独身を通し、平成4年、83歳で没した。相当な美人であったらしいが、茂吉への思いがそうさせたのだろうか。
さて、近代を代表する二人の恋文を紹介したが、あなたなら、どちらの手紙に心ひかれるかと問うてみたい。勿論、川端派が大半かとは思うが、茂吉の偏執的で強烈な臭いを割り引くと、こういう問いかけになる。
素朴な誠実さを選ぶか?
それとも、情熱的な熱いことばに心動かされるか?
もっと言ってしまえば、
「君が好きだよ」か、「君を抱きたい」か?
源氏物語宇治十帖の浮舟は、誠実な薫君と情熱的な匂宮のはざまに立って行き場を失い、宇治川に入水した。
それは薫の誠実さに応えようとしながら、しかし、匂の情熱に惹かれていく自分へのどうしようもない戸惑いであったと思われる。
草食系男子などということばが否定的に使われる昨今、やはり「熱い」方がいいのかなあ・・と、いまさら女性を口説く気もないのだが、ちょっと聞いてみたい気がするのである。
■土竜のひとりごと:第167話
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