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第167話:芥川と茂吉の恋文

メールやラインが全盛の時代にあって、恋文など書く人はいなくなってしまったのではないかと思われるこのごろである。そもそも恋文などという言い方は全く古いのであって、せめてラブレターと言うべきかもしれないが、しかし、ラブレターという言い方にもそぐわない、まさに恋文というものがあって、今回はそれを紹介してみたい。

芥川龍之介が後に妻になる塚本文に送った有名な手紙である。
(長い手紙なのでここでは部分的に二箇所を切り取って引用)

文ちゃん。
文ちゃんを貰ひたいと云ふ事を、僕が兄さんに話してから何年になるでせう。貰ひたい理由はたった一つあるきりです。さうしてその理由は僕は文ちゃんが好きだと云ふ事です勿論昔から好きでした。今でも好きです。その外に何も理由はありません。僕は世間の人のやうに結婚と云ふ事といろいろな生活上の便宜と云ふ事とを一つにして考へる事の出来ない人間です。ですからこれだけの理由で兄さんに文ちゃんを頂けるなら頂きたいと云ひました。さうしてそれは頂くとも頂かないとも文ちゃんの考へ一つできまらなければならないと云ひました。

僕のやってゐる商売は今の日本で一番金にならない商売です。その上僕自身も碌に金はありません。ですから 生活の程度から云へば 何時までたっても知れたものです。それから 僕は からだもあたまもあまり上等に出来上がってゐません。うちには父、母、叔母と、としよりが三人ゐます。それでよければ来て下さい。僕には 文ちゃん自身の口からかざり気のない返事を聞きたいと思ってゐます。繰返して書きますが、理由は一つしかありません。僕は文ちゃんが好きです。それでよければ来て下さい。
(大正五年八月廿五日朝 一の宮町海岸一宮館にて)

これがあの芥川龍之介の文章かと思われるほど、素朴な文章である。でも、こういう朴訥とも言える素朴なことばには何か深い味わいが感じられ、心引かれるものがある。

これは芥川24歳の手紙で、この3年後、二人は結婚することになる。
その後芥川は、人妻との不倫、妻・文の友人女性との心中未遂など、波乱に満ちた恋愛を繰り返し、は35歳で自殺するという数奇な一生をたどるが、この手紙はそういうことを片鱗も感じさせない、淡々とした素朴、どこか静かに諭すようなあたたかさに溢れている。

二人が初めて顔を合わせたのは、芥川15歳の時。文は中学の同級生で親友の山本喜誉司の姪、当時はまだ7、8歳だった。
思わず18歳の光源氏が10歳の紫の上を北山で見つけたあのイメージを重ねてみたくもなったりしてしまうが、素朴に「好きです」と言われた感銘。この手紙は文夫人の、さまざまな苦悩の中で支えであり続けたものであるような気がしてならない。


もうひとつ、こんな恋文も紹介してみたい。齊藤茂吉が短歌の弟子である永井ふさ子に送った手紙である。二人は不倫の関係にあった。
茂吉は齋藤家に婿に入り、輝子という妻がいたが、この関係はほとんど壊滅的なほどうまくなかった。

ふさ子さん!ふさ子さんはなぜこんないい女体なのですか。何ともいへない、いい女体なのですか。どうか大切にして、無理をしてはいけないと思います。玉を大切にするようにしたいのです。ふさ子さん。なぜそんなにいいのですか。(昭和11年11月26日)

ふさ子さんの小さい写真を出してはしまいひ、又出しては見て、為事しています。今ごろはふさ子さんは寝ていらっしゃるか。あのかほを布団の中に半分かくして、目をつぶって、かすかな息をたててなどとおもふと、恋しくて恋しくて、飛んででも行きたいやうです、ああ恋しいひと、にくらしい人。(昭和11年11月29日)

写真を出して、目に吸ふやうにして見てゐます、何といふ暖かい血が流るることですか、圧しつぶしてしまひたいほどです、圧しつぶして無くしてしまひたい。この中には乳ぶさ、それからその下の方にもその下の方にも、すきとほって見えます、ああそれなのにそれなのにネエです。食ひつきたい!(昭和12年3月19日)

芥川の手紙とは全く対照的な趣である。
これを女性に出すかと思われる大胆で露骨な表現。これが教科書で読んだ、あの歌聖と呼ばれた茂吉の手紙か!と思った方もおられるかもしれない。当時茂吉は52歳、永井ふさ子は24歳、二人の年齢差は28歳もある。

「弟子に手を付けた」とか、「老いらくの恋」とか言ってしまえばそれだけのことであるが、茂吉の根本にある満たされない思いや茂吉の生来の直情的な激しさを思わせて、僕には何だか好もしく感じられたりもする。

芥川の手紙は全集に採られているが、こちらは全集にはなく『斎藤茂吉 愛の手紙によせて』(求龍堂)という本にまとめられている。永井ふさ子が茂吉の死後十年を経てようやく公表を決意して世に出た。
茂吉らしいと思うにしろ、こんな奴だったのかと思うにしろ、茂吉の生のあり方を如実に見せてくれる貴重な資料だろう。
ちなみに永井は生涯独身を通し、平成4年、83歳で没した。相当な美人であったらしいが、茂吉への思いがそうさせたのだろうか。


さて、近代を代表する二人の恋文を紹介したが、あなたなら、どちらの手紙に心ひかれるかと問うてみたい。勿論、川端派が大半かとは思うが、茂吉の偏執的で強烈な臭いを割り引くと、こういう問いかけになる。

素朴な誠実さを選ぶか?
それとも、情熱的な熱いことばに心動かされるか?
もっと言ってしまえば、
「君が好きだよ」か、「君を抱きたい」か?

源氏物語宇治十帖の浮舟は、誠実な薫君と情熱的な匂宮のはざまに立って行き場を失い、宇治川に入水した。
それは薫の誠実さに応えようとしながら、しかし、匂の情熱に惹かれていく自分へのどうしようもない戸惑いであったと思われる。

草食系男子などということばが否定的に使われる昨今、やはり「熱い」方がいいのかなあ・・と、いまさら女性を口説く気もないのだが、ちょっと聞いてみたい気がするのである。


■土竜のひとりごと:第167話

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