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第18話:金庫

皆さんの家には金庫があるだろうか?
自慢する訳ではないがウチには金庫がある。勿論そんな立派なものではない。よく旅館に泊まると置いてある、あの手の小型の耐火性の金庫である。

田舎のことだから、以前に僕の家の引っ越しを手伝いに来てくれた生徒たちがこれを発見して、いたく驚いていた。彼ら彼女らは、驚きつつも、お互いに顔を見合わせて「どうせカラよね」などと言い合い、自分達の先入観の正しさを確認し合っているようだった。
普段は貧乏を装っている僕が実はこの中に現金数千万円と時価にして1千万円ほどの金塊を隠し持っている可能性とてないわけではなかったのだが、まだ修行が足りぬ高校生のこと、そこまで頭を回すことは出来なかったらしい。

中身はともかく、金庫の存在自体が生徒を驚かしたとしても、それは無理からぬことであったのかも知れない。実はこの金庫、結婚してすぐにカミさんにせがまれ2万円もの金をはたいて買ったものなのだが、その相談を持ち掛けられた時、僕もそれなりに驚いた。

カミさんはさすがに都会に育っただけあってもともと家にも金庫があり自衛の意識も高かった。家が密集していて人の目があるようでも空巣は多いし、地震や火事は即死活問題なのであって、それに対して備えるための当然の手段として金庫は存在していたのだと言う。
「あるのが普通なの」と言い、「あなたみたいに『なんとかなるらぁ~』じゃ済まないの」と人の方言まで持ち出してチクチクと説明する。

しかし、僕の実家は田舎の百姓屋で全くのオープン、よく考えてみれば確かに不用心なのだが、外出のときに家に鍵を掛けるということさえしなかった。僕はそんな非常におおざっぱな実家の雰囲気を引き継いで、例えば結婚前に勤めていた学校では、職員住宅の自分の部屋に鍵をしたことがなかったし、夏は窓も開けっ放しのまま出掛けて平気だった。

確かに不用心で、部屋に帰ってみると小包が、玄関どころではなく奥の部屋の机の上に乗っていたり、炬燵の上に「先生、鍵は掛けたほうがいいよ」という置き手紙と一緒に生徒の書類が置かれていたりしたこともあった。明らかに不法侵入であるが実害はなかった。
また生徒会の連中が上がり込んで、男子生徒のために軽い夕飯を作ったり、行事の前には仕事が終わらず0時頃まで学校に居残ることもあって、僕の汚い万年床を畳んでいったり、勝手に雑談して行くときもあった。

これには多少の実害があって後で報告を聞いてヒヤッとすることもあった。
例えば
「先生のところには何にもないんでお隣から油と醤油と塩を借りました」
とか、
「女の人から9時頃電話がありましたけど私が出たらびっくりしたみたいで『また後で掛けます』って切れちゃいました。誰ですか?」
などと平気で言ってのけてくれる。
あちこち謝るのに苦労はしたが、これとても僕の意識を根底から改革する力とはなり得なかった。

要するに『まあええらぁ~』で過ごせたわけだし、それが割と僕のライフスタイルに合っていて、したがって、カミさんの言う金庫というものがほとんど異常に感じられたのである。
だが、釈然とせぬ奇妙な思いにとらわれながらも、例によってカミさんに逆らえぬ僕のこと、安売りの日を狙って購入に出掛けた、というのが我が家の金庫の存在に関する一部始終なのである。

概して日本人は自衛の意識が乏しいらしく、海外では「ネギを背負ったカモ」と思われる向きもあって、僕も最初に海外に行った時には、ガイドが「知り合いの添乗員がアメリカのツァーに付き添ってホテルでチェックインの手続きをした時、預かった客のお金を盗まれないように左の脇にしっかり挟んでいたのだが、書類に一瞬気を取られてまたふと左の脇に目をやるともうそこにはお金を入れたハンドバッグではなく、丸められたダンボールが挟まっていた」などという話とともに僕の自衛本能のなさに注意を与えてくれた。

ただ、海外だけではなく日本も昨今はだいぶ様変わりして、防犯カメラで街中が監視されていたり、煽り運転の被害を受けないようにドラレコを前後につけたり、畑でもカメラや警報装置が見張っていたり、子供には「知らない人に道を聞かれたら逃げなさい」と注意しなければならなかったり、無人販売店で持ち逃げする窃盗犯を映した防犯カメラの映像がニュースでバンバン流されたり、そんな空気が支配的になりつつある。

しかしそれは、本来は憂うべき「空気」なのだろう。
「自衛」とは「自分を衛る」ことであるが、「敵を監視、摘発する」こととは違うはずであって、無人販売所に感じカメラを仕掛けるのは、マナーでしか成り立たない「無人販売」という概念を逸脱した商売ではないかと思ってみたりもする。
田舎の道で「無人販売」に誰でもがほのぼのとお金を置いていくような社会が最も成熟した社会であって、それがいいと思ってしまう。

全くの空論であろう・・。

生徒に、「昔はさぁ、留守にしている時急に雨が降ってくると、隣の家の人が洗濯物を取り込んでくれたんだぜ。どう?」と言うと、「そんなの絶対に嫌!」と叫ばれるのだが。

(土竜のひとりごと:第18話)

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