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第84話:逆上がりができない子どもの気持ち

平成10年10月10日。
10のいっぱい並んだなかなか味な日だったが、実はこの日は僕が自分のバイクを手に入れた記念日。

もっとも、カミさんと職場に20万円ずつ借金したのであって、以降僕は月々の小遣いから1万円を職場に返し、かつ20万円を貯めてカミさんに返さなければならないという地獄に陥った悪夢のような日でもあったが。

早速、丹沢まで出掛け秋の空気を吸い込んで来た。憧れのバイク。風を直接体に受けて走るのは気持ち良い。俗に言う風になった感じだった。

バイクを物色していた頃、ショップで「最近はあなたのように若いころ乗っていた人が復活するケースが増えている」などと言われたのだが、実は僕は全くの初心者であって、何を血迷ったか、37歳にしてバイクの免許を取ったのである。
憧れはあったがバイクに触ったこともなかった。まさに四十の手習い?といったところである。

でも、みんな「簡単」と言うし、受付の人も「3週間あれば」と言うので、そんなものだろうという甘い認識で始めたのであるが、しかしそれは非常に甘い認識であった。

教習1時間目。
いきなり「外周回るよ」と言われバイクに乗せられた。
「エンジンかけて」と言われたので、自動車の要領でキーをひねるが回らない。
首をひねっていると、教官が「そこのボタンを押すの」と言う。
「もっと丁寧に教えてくれなきゃ困る」と思いながらも言われたとおりボタンを押すとブルブルブルとエンジンがかかる。

おっと!と感動していると、
「じゃ半クラッチで前に出て、2速に入れて外周」と次の指示が出る。
「ホントかよ。いきなり。だいたい2速にはどうやって入れるんだ」と途方に暮れる。
教官に問うと、呆れた顔で、それでも丁寧に教えてくれが、2速に入れるどころか半クラッチさえままならず、ヨタヨタして5メートル先に立っている教官のところまでたどり着けない。

何度も繰り返しているうちに梅雨時のこととて、ヘルメットの中が汗だくになる。そのうち終了時間が迫り、教官が「土屋さん、いいや。1速でいいからとにかく一周してきて」と言う。
「いいや」と言われると見捨てられたような気持になり、とても寂しい。寂しさに浸りながらヨロヨロと外周を一周して教習第一時間目が終了。

後は推して知るべしであろう。自分の名誉のために余り書かないが、例えば一本橋(10センチ位の段差で幅30㎝、長さ7mの通路を7秒以上かけて通過する課題)では、まず橋に乗れない、乗っても途中で落ちる、転倒する。通過できないまま5時間を費やし、またクランクでも、転倒、パイロンを倒すで、OKがもらえるまでにやはり5時間がかかった。

OKといっても、一本橋は「落ちなきゃ減点で済むから、ゆっくり進もうと考えないでさっと通り抜けな」と、高度なことは考えるなというアドバイスをいただき、クランクでは「本当は右左折はバイクを倒してアクセルで起こすんだよ。いいかげんにするつもりはないけど、土屋さんは無理だから、とにかくパイロンに当たらないで通って」と最大限の譲歩をいただいた。

そう言えば検定に合格した時も「気を付けて乗ってくださいね」と念が押されたことを思い出す。何をやっても人並みにできない。

逆上がりがいつまでたってもできない小学生のように、泣きたい思いで教習していたのである。

悪いことに教え子とも遭遇し、教習のペアが教え子であったこともあった。
彼はそこそこの悪童だったが、僕が落ち込んでいると「先生さあ、最初のうちはみんなそう」とか「俺もクランクで何度もコケて、免許が取れるのかって思った時もあったよ。頑張んな」と言って慰めてくれる。いい奴である。

教官にも
「たくさん転んだからバイクの起こし方はうまくなった」とか
「お互い40歳近くにもなるとダメだね。頭じゃ分かっていても体が動かない」とか
「先生、できない生徒の気持ちがよく分かるだろ」などと温かいお言葉をいただいた。

結局僕は20時間オーバーで教習を終了。
規定の17時間に対して倍以上の37時間を乗ったことになる。教官の方々には迷惑をお掛けしたと思う。

3週間と見込んでいた日数は2カ月に及び、追加料金は10万円。
この10万円も実はカミさんに借金。バイク代と合わせると30万円をカミさんに返さなければいけないことになってしまった。

かくして苦闘に満ちた教習は終了した。卒検を終えた時には天にも舞い上がるような気持ちであり、カミさんも息子もこの合格を拍手をもって祝ってくれた。いい家族である。

そうして1カ月後、念願のバイクをようやく手にしたのだった。

バイクが来た日、僕は誇らしげに
「お父さんのバイクだよ。後ろに乗せてやろうか」と息子に言うと、
「いい」と言う。
「何故?」と問うと
「危ないから」と言う。
「そんなことないよ。なぁ」とカミさんに話を振ると、
「そうねえ。私も遠慮しておくわ」と言い、
「だって私とあなたが一緒に死んじゃったら、この子が困るでしょ」と息子と手を取り合っている。
僕は死んでもいいらしい。実は冷たい家族だった・・。
「えーい、そんなにいじめると暴走族になっちゃうんだから」と60キロも出すとビビッている初心者の僕は思うのであった。

さて、3月に生徒が信州大学の教育学部の入試小論文を持ってやって来たが、こんな内容だった。
ある先生が逆上がりができない子供に何日も付き添って練習し、ある日、とうとうそれができるようになった。子どもも先生も手を取り合って喜んだ。
しかし、その時、その子供が言った。

やったよ。先生。これでもう、逆上がりはやらなくていいんだね。

・・なんとも微妙ではないか。

つい先日、NHKの「チコちゃんに叱られる」で、逆上がりは難しいが頑張れば出来るものだから「努力すればできるという成功体験をさせる目的で小学校では行われる」と言っていたが、この子のこの言葉はそれが必ずしもそうでもないことを示している。

できない生徒の気持ちになろうと改めて思ったのであった。

(土竜のひとりごと:第84話)

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