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ガキと主夫生活

「ゴツモンがモノクロモンに変化した」子は叫びつつ風呂に入り来る

小学校3年のガキである息子と2人暮らしをした時期があった。別にカミさんに逃げられた訳ではないので、結婚を申し込みたいと思う方がいるかもしれないが、ご遠慮願いたい。お気持ちだけはありがたく受け取らせていただくことにする。本当は“お気持ち”だけでは勿体ないのだが、やむを得ない。

実はカミさんのお母さんが肺ガンと診断され(実は手術後の説明でガン細胞は検出されずガンではなかったことが判明したのだが、ともかくガンと診断され)、我家の夏休みは震撼したのであった。

カミさんの家は娘が二人で、既に二人ともそれぞれ静岡、千葉に嫁いでいたので、家にはお父さんとお母さんの老夫婦が二人で暮らしていた。そこにお母さんの入院という“事件”が起こったわけである。

長女であるカミさんが主になってお母さんの入院にかかわる世話やお父さんの生活の面倒を見るために、ガキであるところの息子を連れて帰省したのである。それが8月の上旬。

仕事のあった僕は御殿場にとどまって一人暮しをしていたのだが、9月からは息子は学校が始まるので御殿場に連れ戻した。カミさんは看病のメドが立つまでということでそのまま実家に残ったため、必然的に僕と息子が2人で暮らすことになった。

息子はカミさんと離れて暮らすのは初めてのことであり、別れるときにはカミさんの胸に顔を埋めてメソメソしたりした。
グータラオヤジと思い込んでいる僕との2人暮らしにも不安を感じていたに違いない。とにもかくにも、かくして息子との2人暮しが始まったのである。


朝は6時ちょっと前に起きる。朝飯の支度をしてガキに食わせ、7時にガキを送り出した後、洗い物をし、洗濯物を外に干して出勤する。学校では一応働き、申し訳ないが、急場のこととて定時に帰る。

家に帰るとまず洗濯物を取り込み、たたむ。それから予定帳を引っ張り出してガキの明日の予定、持ち物、宿題をチェックして、宿題をやらせながら夕飯を作り、ガキに食わせる。食後、洗い物をして、9時からガキを風呂に入れ、10時にガキを寝かせる。それから洗濯をし、12時ころまで仕事をして寝る。そんな一日の僕のスケジュールである。

結婚以来家事はすべてカミさんにまかせて台所に立つことも、手伝いすらも殆どしなかった僕にとってはなかなかに大変な毎日であった。
買い出しをしたり、縫い物もする。ゴミ出しもすれば、草取りもする。共稼ぎの家のお母さんは毎日こんな普通なのだろうと思うと頭が下がる。

僕には一人暮らしの経験もそれなりにあるのだが、一人であれば外食して気ままに過ごすのだが、ガキがいるとそういうわけにはいかない。
お父ちゃんとしては頑張らねばならず、ガキの頭にロクショウのようにこびりついた「お父さんはグータラ」というイメージを払拭できる良いチャンスでもある。そんなわけで一応奮戦していたわけなのである。


 ただ大変と言えば大変なのだが、なんだか楽しいのも事実だった。
何だか毎日に張りがあって、今日の夕飯には何をガキに食わせようかなどと授業をやりながら考える。息子が喜んだりふくれたりする顔が目に浮かぶ。今日は誰と遊んだ、こんなことがあったなどとガキが話してくる。

普段は部活で帰りは7時半ころであるし、土曜日曜も部活で、ガキと接する時間は余りない。そのせいか、こうやってガキのために自分が何かしているという感覚が、何かこう妙に楽しい。朝晩寒くなり、寝ていると夜中にガキが僕の布団の中に転がってくる。それが妙にあったかかったりするわけだ。

朝、「いってきまーす」と言って出て行く息子の後ろ姿を見送っていると、しみじみ「お父ちゃんしてるな」なんて思ったりする。俺も単純だと一方では思いながら、なんとなくほのぼのと毎日が充実していたのである。

人は、つまるところ、誰かのために生きるものなのかもしれない。それを意識できることが幸福ということなのかもしれない。

僕はなんとなくそんな幸福感に浸りながら、“教員を早くクビになってカミさんを働きに出して主夫しよう、もしカミさんに断られたら、とりあえず一年間主夫しよう”と夢想してみたりしたもであった。

冒頭の短歌、

「ゴツモンがモノクロモンに進化した」子は叫びつつ風呂に入り来る

歌の意味がお分かりにならない方が多いかもしれない。「デジモン」というやつが、当時、流行っていた。

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