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くたかコラム:ニワタリと岐阜県二渡(ふたわたり)について

くたかコラム
 上海アリス幻樂団様が制作した弾幕STG『東方鬼形獣』に登場するニワタリ神、庭渡久侘歌について、あれこれ調べたり想像したりしたことを書き留めておきます。Twitterで呟いたことをまとめることも。

 今回はいつものようにニワタリ神社(っぽいもの)の紹介なのですが、前置きが少々長いので、神社の紹介だけ読みたいという方は【岐阜県『二渡(ふたわたり)神社』の探索】からお読みいただければと思います。

日本各地の二渡(ふたわたり)

 ニワタリ神社は東北を中心に、北は岩手県、南は関東の栃木県まで広がっていることが確認されています。ただ、調べていくうちに「細かく調べたのならより広範囲にニワタリ神社を見つけることが出来るのではないか」「どこまでニワタリ神社は広がっていたのだろう」という疑問が出てきました。

 調べてみると、ニワタリ神社は栃木県以南には確認できませんでした。しかし代わりに二渡(ふたわたり)という地名や神社は鹿児島県までの範囲に点在していることがわかりました。群馬県桐生市梅田町二渡、岐阜県恵那郡加子母村二渡、鹿児島県薩摩郡さつま町二渡などです。

 この時、単純な疑問点として湧いてきたのは、この日本各地に存在する地名『二渡(ふたわたり)』とニワタリとの間に、何らかの関連性はあるのだろうか、という点でした。

ニワタリと『二渡(ふたわたり)』にまつわる事例

 このウェブページの報告では、栃木県の地域住民はあるニワタリ神社を口語で「にわたり」と呼んでいるとしています。しかし反面、同じニワタリ神社へ(孫引きになってしまいますが)栃木県神社誌が「ふたわたり」のルビを振っていたとも記述しています。
 この神社は鶏神社と呼ばれたり、鶏の絵馬を奉納したりするなど、東北のニワタリ神社に近い特徴があります。けれども栃木県神社誌が「ふたわたり」のルビを振っています。この点から「ニワタリ」と「ふたわたり」の混同が生じている事例と考えられます。

 また、上述した群馬県桐生市の二渡(ふたわたり)ですが、桐生市図書館が編集・発行した『桐生市地名考』において、地名の由来を以下に要約したように記述しています。
 二渡(ふたわたり)は東北地方の渡し場につける地名である『二渡(にわたり)』が由来になる。1570年以前、塩釜神社(宮城県の神社です)を奉じて当時の桐生市に移住した小島氏が、渡し場に故郷の地名である二渡(にわたり)を付け、その名が村の名前になった。後世、二渡(にわたり)の読みが転じて二渡(ふたわたり)になった。
 以上の記述から、群馬県桐生市における『二渡(ふたわたり)』の地名は、「ニワタリ」が転じて「ふたわたり」になった事例と考えられます。

 このように、「ニワタリ」と「ふたわたり」は混同が起こりやすく、また群馬県桐生市のように現在では変化した地名が定着した事例もあると考えられます。

『二渡(ふたわたり)神社』はニワタリ神社なのか

 『二渡(ふたわたり)神社』はニワタリ神社の一種なのでしょうか。それとも、別の流れにある神社なのでしょうか。

 群馬県桐生市の二渡には、二渡(ふたわたり)神社があります。位置としては鳥居の正面に川があり、ダムのすぐ近くに鎮座しているそうです。
 鶏や咳信仰といった、後からニワタリ信仰に加わったと考えられる信仰などは現時点では確認できていません。しかし水に関する信仰という点から、群馬県桐生市の二渡(ふたわたり)神社もニワタリ神社と捉えてもいいのではないかな、と個人的には思います(現地に行っていないので机上の空論ですが)。

 上記の群馬県桐生市の地名が変化した事例も踏まえて考えると、日本各地に点在する『二渡(ふたわたり)』の地名が、東北のニワタリの流れを汲む地名である可能性は低くはないと考えられます。
 そして『二渡(ふたわたり)』の地名に鎮座する『二渡(ふたわたり)神社』に、東北に見られたニワタリ神社と類似点を見出せたのなら、その神社は東北のニワタリ神社の一種類である可能性が生じてくるのではないかな、と考えます。

 上記のような理由から『二渡(ふたわたり)神社』をニワタリ神社とみなすかどうかという問題について、慎重に検討する必要があるのは大前提として、現地で東北ニワタリ神社との類似点を捜索し検討するのが大切になるのかな、と考えます。

岐阜県『二渡(ふたわたり)神社』の探索

 という訳で前置きが長くなりましたが、今回の主題です。
 上記のような疑問を持ったため、岐阜県『二渡(ふたわたり)神社』を訪問してきました!
 幸いにも晴れた日に訪れることができて、神社の訪問とか関係なしに散策としてすごく楽しかったです……!
 以下、神社とその周辺の紹介になります。いつもより写真多めです。

 地名は岐阜県中津川市加子母(かしも)二渡(ふたわたり)というようでした。
 山間にある土地で、神社は特に高い位置にありました。また神社の正面には一級河川の白川が流れています。神社に近づくにつれて透明度の高い水が流れる水路や、水田が見えていきました。

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 ちょっとわかりづらいかもですが、写真中央に小さく鳥居が見えます。民家や畑、水田を一望できるような位置にありました。

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 白川の写真です。水が透き通っていて見ているだけで涼しくなりました。川は低地にあり、山からの湧き水が流れ込んでいます。

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 こちらは山からの湧き水を川まで通している水路です。個人的に用水路となると濁っているイメージを持っていたのですが、二渡の水路はそのまま飛び込んで水遊びをしたくなるくらいに綺麗でした。水路は途中、水田やため池などにも水を通しているみたいでした。

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 水田が空を鏡のように映していました。こういう景色も本当にあるんですね。

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 鳥居からお社まではちょっと距離があり、間には住宅なども建っていました。
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 本殿の前には舞台のようにも見える建物がありました。地域の方によると「ジンカンサマ」と言うらしく、巫女さんが舞ったり、宴会をしたり、結婚の初参りをしたりする場所とのこと。
 途中で立ち寄った白山神社にも同様のものがあり、もしかすると岐阜の神社の特徴なのかもしれないです。
 賽銭箱は「ジンカンサマ」の上にありました。写真は背面から。なんというか、「ジンカンサマ」の上にあがってもいいものか迷い、結局後ろから写真を撮ることにしました。正面には「賽銭」の文字があったはずです。

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 鳥居から向かって右手側には赤い鳥居が連なっていて、稲荷神社がありました。祠には狐の置物がたくさんあって賑やかです。昔は小さな祠が一つあるきりだったそうですが、地域の方で鳥居や社を作ったそうです。

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 本殿は一番高いところに鎮座していました。ニワタリっぽい。たぶん、現地周辺では民家含め一番高い位置にあったんじゃないでしょうか。地域の様子をよく見渡せる場所にあると思います。
 ちょうど、『山』と『民家が集まっている辺り』の間にある構図でした。東北のニワタリ神社でも頻繁に見た『境に位置するニワタリ神社』の構図です。
 また、上記した湧き水の水源は特定することはできませんでしたが、上流を可能な限り辿っていくと山の上の方にあるようでした。

 地域の方のお話によると、昭和17年ごろに地域に3つあった神社を1つに合祀していまの二渡神社になったとのこと。元々いまの場所に神社はあったそうです。

 さて次は、境内にあった気になるものの紹介です。

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 境内に置かれていた大きな丸石です。置き方的に、やや意味ありげなようにも見えました。
 ニワタリの咳を治すご利益は石信仰からきたとの説もあります。なので関連性が気になりますね。ただ、石信仰は日本各地で見られるもののため、ニワタリ固有というわけでもありません。この丸石がニワタリらしさかと言われると判断に困るところ。

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 本殿の下のところには木彫りの狛犬が左右に一匹ずついました。隠しキャラっぽい。
 ちゃんと「あ」「うん」でそれぞれ口の形も違ってますね。ブルドッグみたいでかわいかったです。

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 こちらは大きく立派な木です。特に何かあったわけではないのですが、境内にある木の中では他にないくらい大きく立派で、御神木っぽく見えました。

 以上で、神社内の紹介は終了です。最後に神社周辺の気になったスポット2点を紹介します。

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 こちらは白川を渡していた橋で、名前は二渡橋というようでした。なんともニワタリっぽいスポットです。

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 橋の上からは白川がより綺麗に見えました。本当に澄んだ色をしてますね。

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 神社から橋を渡っていくと、二渡御番所跡という史跡があります。御番所とは、関所のことをいうそうです。
 現地に居たときは気づかなかったのですが、帰ってから「関所だこれ! 久侘歌要素だこれ!」とちょっとテンションが上がりました。

 場所的に旧美濃国かと思いきや、尾張の飛地領だったんですね。北に飛騨、西は苗木藩領、東は信濃に接するなど、本当に色々な土地との境だったみたい。

 というか信州信濃は最近でも鴉天狗の飯縄三郎が飯綱丸龍っていう形で東方原作に登場したり、諏訪湖があったり、そもそもZUNさんの出身地だったり、東方projectとは所縁の多い土地です。
 そんな信濃が東方に位置している土地にニワタリと関連のありそうな地名があり、関所もあるって、これは中々興味深いのでは。

 あと北側に位置する飛騨や、そもそも美濃国は覚妖怪の出身地らしいですよね。こちらは地獄関連での不思議なつながり。

岐阜県二渡(ふたわたり)神社と東北ニワタリとの類似点

 以上の報告でもお伝えした通り、岐阜県二渡(ふたわたり)神社には東北ニワタリ神社に見られた特徴との類似点がいくつか確認できました。
 以下にその類似点を整理していきたいと思います。

 東北のニワタリ神社の特徴として、今回は大まかに以下の4点を挙げます。
①水に関する神様であることが多いこと。
 川や海を渡すことにまつわる神様であることが多い。水を分け与える水配にまつわる神様であることが多い。水源近くに神社があることが多い。
②土地を見渡せるような高台に鎮座する神社が多いこと。
③民家群と民家以外の土地(海、農耕地、川など)の境に鎮座することが多いこと。
④咳治癒の神様であり石(セキ)信仰との関連も見出せること。

 そして、今回訪れた岐阜県二渡神社の特徴と上記の特徴を比較していくと……。
①川近くに位置している。周囲の民家は水路を敷いて水配をしている。水源となる山の中に位置している。
②周囲を一望でき、他の民家よりも高い位置に鎮座している。
③民家の集まりと、山との境に鎮座している。
④一応、石(セキ)信仰との関連が想像できる大きな丸石が置かれていた。咳治癒についての信仰は不明(地域の方に聞き忘れた)。

 主に①②③の水関係の点、高台にある点、境目にある点で類似点が確認できました。
 ③の特徴は、特徴として指摘している文献が少なく、自分が宮城ニワタリ巡りをした時の主観と併せて、今回ニワタリの特徴として挙げたものでした。つまり特徴としてはやや弱いかもしれない。
 けれど①と②の二点のニワタリの特徴は、多くの文献で指摘されていることから『ニワタリらしさ』の輪郭のようなものと考えられます。その二点を持っているため、岐阜県二渡(ふたわたり)神社もニワタリらしさを持っていると考えていいのかもしれません。
 一方で、東北ニワタリは鶏信仰と関連が深いのですが、今回探索した限りでは岐阜県二渡神社に鶏の絵馬など、鶏信仰に関する要素は確認できませんでした。地域の方からお話を聞く際には鶏信仰のことを失念していたため、以前の様子などより詳しいところはわからないままです。今後の検討点となります。

 という訳で結論としては「岐阜県二渡(ふたわたり)神社はニワタリ神社の流れを汲む神社……という可能性があるかもしれない」というところに落ち着きました。結局のところ、確実なことは何もわかりません。

 ただそれでも、可能性を検討したり、散策や聞き取りで情報を集めるのは楽しいものでした。そこが今回の結論かも。

付記:『ふたわたり』から宮城ニワタリ神社を考える

 今回の思索は、図らずも宮城ニワタリ神社について新しい考えを得ることにも繋がりました。
 というのも、群馬県桐生市二渡の事例では1570年以前に塩釜神社関連の人物によって『二渡(にわたり)』の字と読みが『水辺・川渡し』の意味で群馬まで伝わったと分かりました。塩釜神社は鹽竈神社とも書き、現在の宮城県に鎮座する神社です。かつては陸奥国一宮だったそうです。

 このことから、1570年以前には陸奥国一宮鹽竈神社関係者は、『ニワタリ』の言葉に対して、『水辺・川渡し』を意味し『二渡』の字を当てるものと認識していたと考えられます。もしも群馬の二渡神社で鶏信仰が確認出来たら、この1570年以前の『ニワタリ』への認識に鶏信仰も加わることになります。

 宮城県ニワタリ神社には『二渡』の文字が当てられたものが多く、鹽竈神社周辺の地域で『ニワタリ≒二渡≒水辺・川渡し』の認識が出来上がっていた可能性にはある程度納得できます。

 しかし疑問点もあります。以前の宮城ニワタリ神社巡りでは、二渡神社は海に対する信仰となる沿岸部に多くみられました。一方で、川に対する信仰となる内陸部では、二渡神社はむしろ減り、他の字を当てたニワタリ神社も多く確認できました。川の周囲のニワタリ神社には『見渡』の字が当てられていることが多かったように思います。また、内陸部の二渡神社であるものの、周囲に川が確認できない事例もありました。
 宮城のニワタリ神社周辺では、『ニワタリ≒二渡』が『川渡し』として用いられていない傾向があったように思います。

 この点に関しては、吉田川沿いに神社は現存していないものの、かつてニワタリ神社があったと考えられる事例が現時点でも2点確認できているので、「以前は川沿いに二渡神社があったけれど現存していない」可能性もあるのかな、と考えています。

おわりに

 という訳で、くたかコラムで最長の内容となりましたが『くたかコラム:ニワタリと岐阜県二渡(ふたわたり)について』は以上となります。

 今回岐阜県二渡(ふたわたり)を散策して思ったことは、「意外とニワタリっぽい可能性高いのかも……?」ということでした。
 ただ確実な証拠は何も出てこず、空想は空想に終わりました。もしもこれから事実を積み上げていくことが出来たら、もう少し確実なことがわかるんでしょうか? それは何時になるのやら。果たして可能なのやら。
 ただ確実なことがわからないなりに考え、情報を集め、事実を見ていくことは楽しかったです。また時間があれば続きをやりたい。

 あと地味に思ったのは、温泉と二渡(ふたわたり)の関連について。
 上記した岐阜県二渡、日本三名泉の下呂のすぐ近くなんですよ。同じく二渡がある群馬県にも、日本三名泉の草津がある。もしかしたら残る三名泉の有馬を有する兵庫にも、二渡があるのかも……?
 そんなことを想像しつつ、温泉たまごが食べたくなる今日この頃でした。

 なお、ここに挙げた情報は、あくまでも外の世界ではこんな記録が流れているよー、程度のものです。真実が何であるかは知る由もありません。
 あなたが幻を視る一助になれば幸いです。素敵な幻想郷ライフを。

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