君は希望を作っている #6

 さて、なんとなく『kibou』と名付けはしたけれど、どんなものにしよう。
 あくる日きぼうで、沙羽はノートにプロジェクトのスケッチを書きながら頭を抱えていた。
 沙羽は母と佐藤に「友達ができる」「困った時に助けてくれる」と詰め寄られてきぼうへ行くことをしぶしぶ決めていた。
沙羽は皆に
「保坂沙羽です、趣味は純文学を読むことで、文芸創作もします、プログラミング始めました。よろしくお願いいたします」
と簡単な挨拶をした。休み時間に沙羽は何人かの利用者と親しくなり、連絡先の交換は禁止なのにSNSのアカウントをこっそり教え合ったりもした。
 今日は皆自習らしく、佐藤は聞かれた仕事上で気をつけることに答えている。
 誰かが自習なのにスマホでゲームをしていて注意される。
 ……きぼう、希望?スマホでいつでも希望を。どんなものにしようか、故事や古典が読めて元気が出る!じゃあありきたりだし……。
 難しい顔をしだした沙羽は、急に高い声を出した佐藤に驚いてペンを止めた。
「今日は鈴木さんがこられましたよ、『おはようございます』」
「おはようございます」
めいめいが挨拶をする中、社長、と言われた男性が手を挙げてきぼうに入ってきた、みんなの慕う声に答えて挨拶をする。見た感じ年齢は沙羽ぐらい、美形というかは人によるが愛嬌がある顔付き。特に高級そうではない綿の黒いジャケットを着て、コットンパンツ、ジャケットの下はTシャツでノータイだ。社長、社長、皆がめいめいに彼に声を掛ける。
「おはようございます。さぁさぁ僕は気にせずみんな自然に、自然に」
「……社長?」
沙羽はきぼうに入って来た社長と呼ばれる男性に違和感を覚えたらしい。
「この方は鈴木さん、私たちの社会活動に賛同して、資金援助をしてくれているのですよ。今日は視察にいらしました。沙羽さん、『おはようございます』」
「おはようございます」
沙羽は目を伏せて再び『kibou』のプロジェクトについてノートに書き出す。社長はみんなの様子を歩いて見回り、何人かの利用者とは知り合いなのか短い会話を交わしている。
「ようこそいらっしゃいませ」
黒崎が車椅子を動かして、猫なで声で社長に近づく。
「ようこそきぼうへ、いつもありがとうございます」
社長は今のところ見ている限り誰にでもする笑顔で言った。
「あれだけの事で『社会問題に理解ある』だなんて思われちゃってイメージも上がったし、ここからいい人材が出れば援助した僕も助かるしね、別に気にすることないよ。それより佐藤さん、うちに障害者枠で何人か入れるって、あれなんだけど」
黒崎はどこから出るのか見当がつかないような高い声を出した。
「私は貴方のそばにならいつでも」
絡むような視線を投げて自分を触ろうとする黒崎の手を社長はやんわりと振り払い、少したしなめるように、しかしはっきりと忠告した。
「黒崎さんはウェイトレスまたやりたいんでしょ?うちに来るって、事務補助だよ?」
「でも……」
社長はうつむく黒崎を後にまた利用者の様子を見て回って、沙羽の近くにも来た。
「うん、君ははじめましてだね」
社長は沙羽のノートを覗きこんだ。その顔が近いので、沙羽はちょっと振り向いて怪訝な顔をした。
「へぇ、それ、『プログラミングで作る』って書いてあるね!」
「ちょっと近いです」
社長は沙羽の手をかわして言った。
「何で見せてくれないの」
「やめて下さい」
沙羽はノートを隠して少し照れていた、なんか、僕がセクハラでもしているみたい、と社長、プログラミングのプロジェクトを見るのはセクハラじゃないはず。
「プログラミングで作ったものなんて公開すれば誰でも見られるじゃない。どれどれ」
そう言ってさらに沙羽に近くなる、沙羽は明らかに嫌そうに顔をしかめて言った。
「見せるほどのことじゃないです」
「へぇ、『kibou』!そうか、君は希望を作っているんだ。僕もプログラマーから始めてここまで来たんだ、君からはセンパイだよ」
機嫌がよさそうな声でノートをのぞき込む社長が気になってか、沙羽は落ち着かなそうに言った。
「でも希望ですよ?一体どんなものがいいのか」
鉛筆でノートをトントンと叩く、社長は沙羽のそんなぱっとしない案しか思い浮かばないとでも言いたそうなしかめ面を見ながら言った。
「ってことは、まだどこかに希望があるって信じているの?」
沙羽はとたんに何を言っているんだこの馬鹿な人はといった呆れた顔になった。
「どこかしこにはあると思いますよ、ただどこにあるのかわからない」
大真面目に答えるそんな沙羽に、社長は顎を抱えて思案顔になる、
「そりゃあねぇ、じゃあ聞くけど最近どんなものに希望を感じた?どんな希望がある?」
その何気ない質問に、沙羽は深く考えだしてしまった。そして少し俯いて極めて履歴書に書くみたいなお行儀のいい答えを言った。
「正社員」
「へぇ?またずいぶん慎ましい」
社長は笑い出した。沙羽は続ける、
「あと、月給二十万のサラリーマンか公務員の奥さん」
「なにそれ、いやね、君のこと何にも知らないけれど、それは無理だよ。今どき月給二十万が余っていると思う?」
手を叩いて大げさに笑う社長を、沙羽は失礼だとでも言いたげにムッとして睨みつけた。ひとしきり笑うと、社長は息を整えながら少し真面目な顔で言った。
「でもまぁ、例えばだけどね、ユーザーに何か書かせて、頻繁に出てくる言葉から何かユーザーの希望を導くことはできるんじゃないかな。名前は?」
「沙羽」
沙羽か、社長は呟いて別な利用者に話しかけた。沙羽は社長の姿が去ってから、変な人、と呟いた。
 

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