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家族とコミュニティ

うちのご飯はにぎやかだ。

子どもが4人。

ファミリーシェアハウスや本拠地の延長で残ってご飯を食べていく人もいて、大人は毎日顔ぶれが違ったりもする。台所も半ばフリーになっていて勝手に肉を焼いて食べていく人もいる(おこぼれもらったけど美味しかった

また、保護猫活動をしていて知り合った近所のおばあちゃんが、自宅で取れた野菜を持ってきながら、うちに集まった子どもたちと楽しそうに会話をしていたりする。

コミュニティは資源の共有。
そこに上下関係はなくて、横のつながり。
あるものは共有したらいい。

今日も若者がご飯を食べていって「今まで家族揃ってご飯を食べたことがない」「それが普通だと思ってた」と衝撃を受けていた。

子どもから大人まで色んな人といろんな経験をすることで、自分が見えたり価値観に気づいたりして成長していける。


私が尊敬する猫活動している方が言っていた。

「猫を保護してあげようとか、なんとかしてあげるなんておこがましい。猫に失礼だ」と。

ボランティアやコミュニティの危ういところは、弱い人や助ける対象を見つけたら良かれと思って無意識に「なんとかしてあげよう」と自分が優位に立ってしまうこと。助けた先に見返りを求めてしまうと、どうしても上下関係ができる。

毒親っていう言葉があるけど「〇〇してあげたのに」は誰のための行為なのかな。
自分の思い通りになるわけないのに。

ヘルピングという手法は、そういう上下関係が起こらない。
双方が同じところに立っていて、ぐるぐると螺旋を描くように交わり合いながらお互いに高めあっていく。

今一緒に活動したり仕事をしたりしている人は、自分の世界を持っているからこそ他人の世界も大事にできる人たちだ。

年齢的なものもあるかもしれないけど、人生の折返しがなんとなく見えてくると考え方もシンプルになってくる。
中には20代でそこに達している人もいて、本当に尊敬しかない(笑

自分がどうしたいのか?
人生で何を達成したいのか?

そこを見失わないように、己の使命を全うしよう。

茨城県水戸市にて2007年から個人事業に従事、2015年に独立。2021年にsoratobunezumi合同会社で法人化 4人の子育てをしながら泥臭く歩いてきたから分かることを発信/ 肩書なくつながるコミュニティスペース「本拠地」と「本拠地ギルド」の生みの親