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親の前に”私”そのままに

金曜日。
今週一週間、家族みんな頑張ったと一息つく午後。

学校に行かない選択を否定はしないが、ただなんとなく嫌だからと言う理由で自分に甘えてほしくはない。
責任を自分で持つことを少しづつ身につけていってほしい。
親がいつまでも元気に生きられるとは限らないのだ。

私も幼稚園と小学校1年生まで抵抗して、抗って、泣いたりわめいたりで親を悲しませた。
昔はその事実が恥ずかしくて封印して心の奥底にしまいこんでいたけど、自分が子供を生んでからはそういう隠してしまいたいようないろんな過去や自分の嫌なところと否応なしに向き合わなければならなかった。

おかげで、自分で考えて動くことができるようになったし、遠く茨城の地でも自分の居場所を見つけてこうして元気に暮らすことができている。

よく、痛ましいニュースを見ると「親の自覚がない」とか責め立てられるけど親の自覚ってなんだろうか。

子供を持ったら親。
でも、正しい親のなり方なんて勉強したわけでもなく、誰かが教えてくれたわけでもなく、幼少期の体験だったり自分が感じてきた家族というものを再現しているだけなのだ。

親は子供がいるから「親になる」事ができると常々思う。
自分一人では体験できなかったこと、楽しいことも辛いことも、子供を通して自分が成長していって親として成長できるんじゃないかと思う。

小さな命を守るために、どれだけのことができるのか。

痛みや辛さから始まる母親の苦悩は計り知れない。
そしてきっと、父親もそんな母親をみて支えたいと思うんだろう。
面倒だから、と目をそらさないでしっかり向き合おう。

過ぎてしまえば「なんだ、あんなことで悩んでたのか」って思うくらい簡単なこと。
その渦中は辛い。
でも、それもいつか終わりがくる。

4人の子供の母親であり、妻であり、嫁であり、美龍堂のオーナーであり、本拠地の運営者。
最近は「発達障害を抱える子どもの親」への支援として”みんなのあしあと”の活動を始めた。
商店街活性化の”お狐こんこんプロジェクト”も少しずつ認知が広まってきたし、NPO法人生きやすさ研究室の理事としても動いている。

様々な肩書はあれど私は私。
「翔」という名前そのままに生きている。

父親が何故か「子」をつけないことにこだわって、女の子なのに男の子に間違われて小さい頃は名前が嫌いだった。
だから、髪を伸ばしたり雪が降っても(実家は秋田)スカートを履き続けたり”女の子”をアピールしていたけど、不思議なことに大人になると「翔」のインパクトに負けない行動力と底力、バネ力が身について性別とかどうでもよくなっていた。

今はむしろ「子」がないのが私らしい。と思う。

様々な肩書はあれど私は私。
肩書なく繋がれる世界・・・それが私が目指しているもの。
誰もが自分らしく在れるように。

茨城県水戸市にて2007年から個人事業に従事、2015年に独立。2021年にsoratobunezumi合同会社で法人化 4人の子育てをしながら泥臭く歩いてきたから分かることを発信/ 肩書なくつながるコミュニティスペース「本拠地」と「本拠地ギルド」の生みの親