溺れるナイフ:感想

今更ながら、溺れるナイフを鑑賞。覚書。

他の人とは違って自分に張り合ってくる夏芽に惹かれるコウ。夏芽が自分の思うように動くのならつまらないと言うコウ。全能的な存在になり切れなかった自分を見せたくないために、夏芽を遠ざけるコウ。この痛々しさを、夏芽はどのぐらい分かっていたのだろうか……。

好きな人の思うままになりたい夏芽の台詞は、「芸能活動をしていてもどこか冷めていた夏芽も、結局は年相応の平凡な女の子」という描写なのだと読み取った。夏芽にとっての「神さん」は、ラストシーンにおいてもコウのままのように見えたが、彼女が持ち合わせる平凡さは結局そのままだったということなのか……?

海と山で閉ざされた世界であるはずなのに、中学生時代のシーンでは、どこまでも広がっているような錯覚に陥る。DVDの特典映像によると、「全能感」が作品のテーマの一つらしい。全ての世界が自分の手中にあるような全能感が空間を広く感じさせた理由、ということで納得しておく。

髪型、ブレザー、Yシャツの袖口のカフスで描かれる夏芽の心情。ペディキュアの青の中に一つだけ咲く赤、それに気付いてしまう大友くん、再び全てを青く染める夏芽。泣いた。

大友くん、「少女漫画の3人目で出てくる絶対報われない黒髪のいい奴」の超模範的テンプレ。夏芽もコウもカナちゃんも、現実を抽象化して整理した後に凝縮したような人物で、あまりにも典型的。

でも、虚構は虚構として楽しむものであり、虚構は美しくあればあるほどいいのだから、彼らに対して地に足ついてない、チープ、作り物めいている云々の評価をするのはピント外れなように思う。

ラストシーンが上手く読み取れずに他の人のネタバレを読んだ感じだと、この映画はかなり賛否両論分かれるようだが、個人的には面白かった。

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