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中村哲さんの存在を知って


やっぱり、今日書きたいと思った。書いておきたいと思った。

わたし自身の気持ちを知るためにも。


1年前、「アフガニスタン」という、どこかで聞いたことがある国で、ある日本人男性が銃弾に倒れた。

初めて聞いたその日本人の名前を、わたしはこの1年間、ことあるごとに思い出していた。そしてそのたびに涙が溢れた。


10年ほど前まで、夢は「国際協力」と言っていた。

けれどそんな夢は、踏み出すことを恐れ、逃げ続けた自分自身によってどこかに隠された。

だからわたしは、かつて抱いた「夢」がみえない世界で、居心地がよい場所で生きてきた。


わたしはいつしか、自分から逃げること、そして逃げ続けることを「人生の美」としていたのだと思う。それでいいんだ、と。


それでも常に心の中ではそんな自分を恨んでいた。

だから逃げてきたけれど、できることをやろうと思い、色々と始めた矢先だった。


アフガニスタンで銃撃された日本人の名前は「中村哲さん」。

まさに「国際貢献」を地でゆく人だった。


そんな人の「死」が、いつものように何気なくネットニュースをスクロールしていたわたしの目に飛び込んできた。


自然と涙が溢れ、しばらく止めることができなかったのを今も覚えている。

短い記事だったけれど、わたしの想い、いや、もはや魂のようなものが喉を震わせておいおいと暴れていた。

「……世界はこんなにも素晴らしい人をこんな理由で失ってしまったのか」


あまりにショックな出会いだった。

あのときわたしが、わたしの魂から溢れる悔しさと悲しさと思っていたものは、今思えばもしかしたら哲さんの想いだったのかもしれない。


それから、哲さんのことをたくさん知ろうとした。


哲さんの名前を見るたびに、想いが溢れて涙せずにはいられないほどに感情移入をしてしまう、とてつもなく強い人だと知った。


この頃、どの本屋さんに行っても、哲さんの書籍が入ってすぐのところに何冊も何冊も平積みされていた。

それを見てわたしは、本屋さんまでもが追悼の意を表しているようで少しこころが救われた(わたしの立場でこんなことを言うのは変かもしれないけれど)。

そして、同時になんだか悔しかった。

哲さんは、もう死んでしまったのだ。


わたしはもっと早く哲さんの活動を知っていたかった。

わたしが彼の存在を知っていようが知らなかろうが、全くなんの影響もないことは重々承知だ。その上で、でもわたしはやっぱり哲さんが生きている世界を知っていたかった、と思ってしまうのだ。

そしてもちろん、もっと広い世界で知られておくべき人だと思った。


本屋さんに数々並ぶ哲さんの著書の中で、『アフガニスタンで考える: 国際貢献と憲法九条』という本は、一際わたしの目を引いた。

迷わず購入すると、帰り道で歩きながら読んだ。


哲さんのことばが、力強く一直線に、迷いもなく胸に飛び込んでくる。

魂がこもっている。

これっぽっちも嘘を、無を感じない。


並べられた活字を読むだけで、自分の命をどう使うか、という強く激しい意志が、静かにわたしの胸に響き続けた。

その言葉たちは、わたしの心をぐわんぐわんと揺さぶり、留まるところを知らなかった。


経済の活性化が、人殺しをしてまで豊かさを守ろうとすることならば、少なくとも私は豊かになりたいとは思いません。(P.50から引用)


哲さんは続ける。

アフガニスタンでの活動を通して、そこから学ぶことの方が多かったと。
お金さえあれば幸せになれるという世界中を席巻している迷信から自由になれると。
武力や軍事力があれば自分の身を守れるという迷信。


その迷信から自由であることによって、人間が追い込まれ、極限状態になったときに、これだけは必要だというものはいったい何なのか、逆に、これはなくてもいいというものは何なのか、そういうことを考えることができます。(P.51から引用)


そうなのだ、世界中を「愛と平和」であふれさせることは、思っているよりも簡単なことだ。


そしてきっと同時に、それはま四角な形をした地球上に生きることのように難しい。


最後に、わたしはこの文章を見て、NIKEのCMがインターネット上で多く話されていることを思い出した。


自分にとって見慣れないもの、自分が一般的だと思わないものを目にすると、単に「違う」というだけであるものを、善悪だとか優劣だとかいう範疇でみてしまいがちです。(P.22から引用)
それは、どんな時代、どんな国においても、何に拘束されるかはさまざまですが、それぞれの場所でそれぞれ制約された事情を背負いながら生きているという点では、先進国も途上国も同じなわけです。(P.23-24から引用)


わたしは「中村哲さん」という人間の存在を知ることができて、本当によかったと思う。

現実に出会ってはいないけれど、それでも、出会えたことに心から感謝している。


わたしは彼のように偉大なことはできない。

それでも、この地にはわたしにできることだってある。


自分の命をどう使うか、改めて考える機会をいただいたのだから。



引用文献:中村哲 『アフガニスタンで考える: 国際貢献と憲法九条』

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