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発達障害の世界

わたしは元々、定型発達の世界に生きていた。と、思っていた。
心の中までは分からないけれど、わたしを含めて、誰もわたしが発達障害とは思ってはいなかった。
それは学生時代に通っていた心療内科の先生も合わせて。
学生時代に通っていた病院は、子どもの発達障害を得意とするような病院だった。
それでもわたしは、発達障害だとは思われずに、違う状態だと認識されていた。

そんなわけで、大人になるまで自分が発達障害だと思いもしなかった。

わたしは、発達障害と診断されてから、より発達障害になったように感じている。
今まではあわて者で済んだことが、忘れっぽいで済んだことが、どうしてだろうで済んだことが、全て発達障害に結びつけてしまうようになった。
発達障害だから、治らない。発達障害だから、仕方ない。発達障害だから。発達障害だから。発達障害だから。
そんな呪文を繰り返してきたような気がする。

障害の告知を受けて、悪かったことばかりじゃないんだと思う。
薬を飲むことで、眠気はましになった。
発達特性を知るようになった。対処法も考えるようになった。
でも、まだコントロールできるほどではなく、大きく変われたのかは、分からない。

障害の告知を受けた日、周りと世界が変わったように感じた。
周囲の人と、自分の速度が、違うようにみえて、わたしだけ立ち止まっているような感覚がした。

もちろん、障害と名前がついたから障害なわけじゃない。
わたしは、名前がつくまえから発達障害だった。
ただ、診察を受けて、そうカテゴライズされただけ。
前にか後ろにかは分からないけど、まず最初の一歩を踏み出しただけ。

でも、完全に見せる世界は変わった。
それはわたしが物事を、自分の認識のなかで見るからだろう。
もう、発達障害者のわたしの世界から見る世界になってしまった。

何かあれば、発達障害を思い、何かなくとも、特性を考慮して動く。
今までになかった前提が生まれてしまった。
この前提はきっと、もう二度と外れることはない。

最近よく思うことがある。
わたしはたびたび、人とトラブルを起こしてしまう。
余計なことを言ったり、どうしても納得ができなかったり…そのたびにどうして周りは我慢できるのか、納得できるのか、不思議に思えてしまう。よく言えば、嘘が苦手なのである。

あるトラブルのとき、知ってしまったことがある。
直属の上司は分かってくれる人だと思っていた。
そんなふうに声をかけてくれていたから。
でも、本当は違った。
ただ、我慢をさせていただけだった。
違う人に言ったことばは、わたしへの言葉とかけ離れていたことばだったから。
みんなが、言っていることの全てが本音なわけじゃないとなぜかその時やっと気づいた。
それ以来、表面上わたしのトラブルは減った。
わかってくれるわけじゃないと、正直さなんて要らなかったんだと気づいたから。
嘘偽りのなかで、表面上うまくいくことの方が優先されることにやっと気づいたから。

この世界はもしかしたら、誰が1番幸せそうな姿を装えるか。自然にそう偽れるか。そんなカメレオンだらけの世界なのかもしれないと、だから擬態の苦手なわたしたちは目立ってしまうのかと思った。

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