そらQラジオ

そらQラジオ【text】第7回(2020年1月28日):ローカルプロジェクトの人材戦略②

そらQラジオ【text】では、ラジオの内容を整理してお届けします。第7回は、鹿児島県の甑島(こしきじま)で「東シナ海の小さな島ブランド株式会社」(http://island-ecs.jp/)を営むヤマシタケンタさんに、外から人材を呼び込み、離島を面白くする秘訣について、2回に分けて伺います。前半はヤマシタさんの生い立ちや島への思いを中心に。(ヤ:ヤマシタさん 永:永山)

要点メモ
・「故郷の風景を守りたい」が原点
・ローカルでは昔から、一人でいろんな仕事をこなす。「兼業」は当たり前
・新しいことをするのではなく、今まであったものの価値を見直す取り組み

高校生の時に思い出の港が更地に。「故郷の風景を守りたい」が原点

永:なかなか変わった経歴をお持ちだと。
ヤ:日本一のジョッキーになることを夢見て、中学卒業後、JRA競馬学校(千葉県)に進学しました。あらゆることをして、体脂肪率5.2%まで落とし、精神的にも追い詰められました。でも減量に失敗。1グラムに泣いて帰ってきました。16歳にして無職。漁師をしながらもう一度中学3年生をして、みんなより1年遅れで高校に入学しました。
永:高校の時、人生を変える出来事が?
ヤ:春休みに島に帰ったとき、自分にとって思い出の港を、父親がユンボで更地にしていたんです。その港は、アコウの木下で漁師が網を修理したり、おばちゃんが魚を干したりしていました。そんなふるさとの原風景がなくなってしまって。父親に激怒しましたが、たった一言「おまえのためだ」と言われました。そのとき、自分は4人兄弟の長男で、産業の乏しい島でどう暮らしていくのか、強く突きつけられました。経済と結びつきながらも、島の風景や伝統を、傷つけず長く続けるにはどうしたらいいのかを学びたくて、京都造形芸術大学に入学しました。

外から故郷に関わるうちに、「いつか帰りたい」が「今」になりUターン

ヤ:卒業後は京都の民間企業で1年勤めました。和柄の雑貨の企画製造をする、従業員250人くらいの中小企業でした。社長企画室でプランナーをしました。
永:僕がヤマシタさんと出会ったのはこの頃ですね。ガリガリの死にそうな青年だった覚えが。
ヤ:朝4時まで残業して7時には出社していました。
永:当時、甑島をアートで盛り上げる「KOSHIKI ART PROJECT」の副代表として、自分の故郷の島に外から関わっていたんですね。島外のアーティストが島に滞在して制作し、島全体を会場に展覧会をしていましたね。
ヤ:2ヵ月に1度くらい、島に帰る度に、島の人が「ケンちゃん帰ってきたのね」と声かけてくれて。近所のばあちゃんに、「向こうにいるケンタ君もいいけど、ばあちゃんはここにいるケンタ君が好きだよ」って言われたとき、いつか帰りたいとは思っていたけど、それは今かもしれない、と思いました。9年前にUターンしました。

「米」ではなく、島の風景が続くような米作りの「過程」が価値

ヤ:Uターンして農業を始めました。
永:「初月給取りました」って言うから「いくら?」って聞いたら「800円!」て。ロックやなあと思いましたよ。
ヤ:島で農業って成り立っていなかったので、前例がなく、祖父以外ほぼすべての人に反対されました。でも、高校の時に失った港のことが自分のなかにあり、まずは自分で風景を取り戻して行く活動をしていこうと、島米プロジェクト(http://shimagome.jp/)を始めました。時系列で米作りの日記をアップして、最終的に米が届く。米作りのプロセスの価値を知ってもらうように、お客さんと生産者の関係性をデザインした通販サイトです。農業が産業として成り立っていない島で、稲作をして輸送コストをかけて外に米を売ることよりも、甑島のじいちゃんばあちゃん、友人と一緒に、田植えや稲刈りをして、米作りがあることによって農業の祭りが守られたり、世代を超えて水についての話し合いが続いたりすることのほうが、本質的に島のために大切なのかなと気づいて。

昔から「兼業」が当たり前のローカル。新しいことをするのではなく、今まであったものの価値を取り戻す

永:2012年に「東シナ海の小さな島ブランド株式会社」を設立しました。米作りから、レモングラスのお茶や大漁旗の前掛けなどの商品企画、氷屋さんを改修してお豆腐屋さん「山下商店」の開業、市の指定管理者として港の待合室を「コシキテラス」観光交流拠点化、民宿「FUJIYA HOSTEL」など、事業を多角展開してきましたね。
ヤ:米農家を目指していたわけではなく、島の暮らしを紐解いていくこと、価値がないとされてきたものや昔あったものをどう取り戻していくかを思い描いていたので。今スタッフは11人のうち、5人が島外からの移住者です。
永:今、政府は、首都圏人材の地方での副業兼業を後押ししようとしていますが、ヤマシタさんはずっと前から、そういう運用をしていたということです。背景には何があるんでしょうか。
ヤ:そもそも離島のようなローカルでは兼業が普通です。 消防団、商工会、自治会などいろんな組織の役割をしながら仕事をしています。 うちのスタッフも、朝はパンを作ち、昼からランチを営業し、夕方から宿のチェックイン業務とマルチワークです。
永:ヤマシタさんのプロジェクトには、島外の、全国でも名だたる人たちが関わっていますね。何が引き寄せるのでしょうか?
ヤ:大きな時代の流れの中で見落としてきたもの、価値がないとされてきたものに対して、「やっぱりそうじゃなかったんだ」と言い続けています。そこに、「俺もそう思ってたんだ」という人がやってきます。農業、豆腐、宿、パン屋…今まであったものしかやってないんです。そうした、今まであったものの価値や見え方が変わっているだけです。一周回って新しい、みたいな

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ヤマシタさんのところには、どうして外からいろんな人がやってくるのでしょう。その秘密を、後半で探っていきましょう 。


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