【モヤモヤした取り止めのない愚痴っぽいの話】


[バイオマス発電をめぐる要請書提出ー環境負荷が大きい事業はFIT対象外に]という記事あって、読んで憤慨したところから話は始まります。

「木を使うから良い」とか、「カーボンニュートラルだから」とか、もはや世界はそんなに単純じゃなかった。
単純に見えることがなんだか得してるように思わされる時って、裏で複雑にしてる人が得するように仕組まれてると少し疑ってもいいと思う。
もちろんそうじゃない、とっても素晴らしい単純なものもたくさんある。

ようするに、1+1=2を覚えることは単純だけど、なぜ2になるのかを考えると少し複雑になって、でも大事なのは「なぜ」を自分が納得できる形に落とし込むまでの思考であってその先に1+1=2の単純化があるのに、そこを面倒くさがったりしてスルーしまくれば、もう単純に見えるものしか好まない人間の出来上がりなのだ。
複雑になった世の中を単純化することは、今急務かもしれないけど、ブラックボックスが増えてくことは結局不信感しか生まれない。
「単純」「便利」「楽しい」の感覚が、安易に物事のスピードを加速させていく世の中になったら本当に怖い。

地球も自然循環の中でだけ回ってるならいいのかもしれないけど、今人が使う分をまわしてるのは人だから。
人も自然の産物だったかもしれないけど、今は自然の理から外れたような世界に進もうとしてる。
テクノロジーがどんだけ進化しても、足元は地球で、人が生きるには水と空気が必要で、生きるための食べ物だって水と空気でできてる。
経済活動のために生きる人間になったら、人の社会のためだけに生きる人間になったら、それこそ地球に生きてなくても、仮想世界の中だっていいわけで、生き続けるための栄養があればいわけで。
人が人に回されてる社会だから、得する人と損する人ができるわけで、そこに平等なんて生まれるわけもない。
そこに自然の循環が入って、環境負荷への行為に多大なる罰則なんてもんができれば、何においての平等かがもっと見えやすく、感じ取れやすくなるのに。

人生の勝ち組っていう言葉は、今のイメージだと好きじゃないけど、これがより良い未来や環境へ今を繋げていくための行為の積み重ねだったら、俄然勝ち組になりたいし、すごく誇らしげに死ねる。
人新世だと自覚を持って自然の理と向き合わないと、良かれと思ってやってたことで世界のどっかが破綻してたりする。

日本はできる子的考えや世界をリードするとか勝ち負けとか捨てて、早く国にあるさまざまなものを資源に変えて、っていうか資源としての価値化を試みて、もっと持続可能な未来へとつなげられる仕組みを、周回遅れでもより良いゴールにたどり着けることを考えた方が良いのに、とつくづく思う。

・・・じゃあ、結局どうするのかになるけど、誰かが据えた価値を追いかけ続けることはイタチごっこでしかないから、人が据えられないものを価値として、共有していくことが先決なんじゃないかと思う。人の欲望でお金を回すような今の資本主義じゃこれは無理だから、やっぱり今の時点ではサーキュラーエコノミーの考え方がもっと浸透していくことが一番なのかな。

・・・というあちこち思考が飛びまくった脳内会議の議事録でした。