マガジンのカバー画像

箸休め

137
連載小説の息抜きに、気ままに文を書き下ろしています。文体もテーマも自由な随筆、エッセイの集まりです。あなた好みが見つかれば嬉しく思います。
運営しているクリエイター

#自然

「これが地球のエメラルドグリーン」

昨年9月下旬、長野県木曽郡大桑村の阿寺渓谷を歩いてきました。全ての道は次なる物語へと続く――はずだけれども、いざ足を踏み入れると、もう、なんだっていい。今、ここに居る自分。それだけが全て。 さあ、呑み込まれに行こうか 最寄り駅に着いたのが午前8時半くらい。昨日の雨模様が嘘のような晴天。朝から暑い、夏の名残りどころか太陽が眩しい。嫌いじゃない。 駅から渓谷の入口まで歩いて20分ほど。道は民家の合間を縫って歩くようでやや分かりにくい。地図を印刷して来て良かったと思う。山歩き

「ぐるりの春」

ラッパ水仙が見上げる空には、刷毛で伸ばしたようなすじ雲が広がっています。 三月の半ば、穏やかな晴れの日の一枚です。 毎年お世話をしていないのに、季節が来ればぽんと蕾をつけて、寒さの残る風に耐え、こうして陽気に花を咲かせては、我が家に春のはじまりを告げてくれます。今年はどうしたことでしょう、6つ子です。あんな土壌で、よくぞ沢山咲いたものだなあと思いましたけれど、そういえば去年、里芋を育てた土を入れ替えの為に敷地内のあちこちへほいほいかけて回った事を思い出しました。その効果な

「今日とて霜」

 池の端にロープで小舟が繋がれて、それが波紋に押されるようにしては行きつ戻りつ浅瀬を揺蕩っている。池の淵の草は冬模様で枯れ草が目立つ。ただ侘しさはない。植物が順当に一度枯れ、また来る芽吹きの季節を待って静かに休んでいるだけに見える。  自然界の色にはおためごかしがないから好い。無理に出来上がった発色もなく、水に打たれれば水に打たれたように、日差しに晒されれば日差しに晒されたように、抜けたり息を吹き返したりとありのままに世界となじんでいるのがわが心に好ましい。霜柱を踏む。

「山寺に晩秋を訪ねて」

 山形新幹線へ乗って我が愛しの山形県を訪ねた。東北の秋はもう終わりに近付いて、そろそろ冬支度の気配がうかがえる、さる十一月の事だ。  休暇の都合で一泊二日の短い旅ではあるけれど、的を絞れば十分に楽しめると思い、今回は不図思いついて山寺を訪問する事に決めた。調べてみると紅葉が楽しめる良い季節だとあって、なんていいタイミングだろうと出発前から巡り合わせに感謝した。私にとって山形は憧れの土地なのだ。なにしろ紅花がある。果物王国でもある。知る程に魅力の詰まった場所のようで、そこへ降

「夜明けて慕う朝の静けさ」

庭の冥加の撮影にようやく成功した。七月半ば。白い花に続いて、見覚えのある形。小さな小さな庭の一角で、なんの世話もしていないけど、毎年毎年律儀に出来る。年々数を増やしている。春にはその若い芽を間引いて食べて、今度夏には素麺やざる蕎麦の薬味にして頂こうと思う。さっと湯掻いて酢漬けにしておくのも美味である。年々体が酸っぱいのを求めてゆく。もしかするとそろそろ梅干しが齧れる人になったかも知れない。 上の写真がうちの冥加地帯。むかごの蔓が絡んでいる。傍にある樹は椿で、茗荷は椿の木の根

「歩く、深呼吸、奥入瀬渓流」

全長約70kmの奥入瀬川。その上流、十和田湖子ノ口から焼山までのおよそ14kmを、奥入瀬渓流と呼ぶ。青森県、岩手県、秋田県にまたがる十和田八幡平国立公園内にあって、国指定の特別保護地区であり、天然記念物である奥入瀬渓流は、敷地内への植物・石等の持ち込み、持ち出しの一切禁止された、国内有数の水と緑溢れる大自然である。 いつになく肌寒さの残る五月某日、いつかの再会を冀っていた奥入瀬渓流を訪れる機会を得た。初めて彼の地へ足を踏み入れたのが2019年の9月であり、まさかこんなに早く

「五月晴れに身近な幸運を拾う」

 庭のぐみが真っ赤に熟した。今年も鈴なりで、鳥にも遠慮なく食べて欲しいが、明日は雨予報が出ているから今朝少し収穫してみた。先ず一粒、その場で軽く表面を払って口の中へ。薄皮が忽ち破けて甘酸っぱい果肉が舌の上へ広がる。皮に残る自然物の渋さと、木で熟したぎゅっと濃い甘味。みるみる力が湧いて来る様だった。口に残った細長い種をぽっと出した。  薫風庭先を撫でる。愈々緑溢れる日々が始まりを告げたのだ。青い空を横切る様に、蜘蛛の巣が宙を泳いでいた。  去る五月、長編小説推敲の傍ら、こんな

「あの子どこの子、よい実り」

 寒露を迎え、朝晩だけはどうやら涼しい時節です。昼間との寒暖差がありますが、皆様いかがお過ごしですか。  いつものランニングコースにて。久しく散歩へ出掛けられず、刻々と移り行く季節を、ただ走り抜けて行くだけかと、首をきょろきょろ、足元ちらちら、目移りしておりましたが、道中面白い発見が続きます。これはどうでもカメラの出番です。今日のランニングはカメラ小僧バージョンで行いました。走っては止まって撮影。散歩のおじいさん、おばあさん、おはようございますの、会釈。果たして有酸素運動に

「野に咲く花のように生きていきたいと、実は保育園児の頃から憧れていたのかも知れない」

♪ 野に咲く花のように 風に吹かれて 野に咲く花のように 人を爽やかにして そんな風に 僕達も 生きてゆけたら 素晴らしい 時には 暗い人生も トンネルぬければ 夏の海 そんな時こそ 野の花の けなげな心を 知るのです ♪       「野に咲く花のように ダ・カーポ」  小さい頃、両親の好んで見るテレビ番組を、一緒に座って見ていた。時代劇、刑事ドラマ、洋画、邦画。自分達子どものセレクトとなると専らアニメかNHK教育だったが、新聞のテレビ欄を読んでセレクトできる大人たちは、

「雨宿り」

 青い葉の上で、粒揃いの滴るあの子たちが囁いている。 「見てみて、そろそろだね」「うん、そろそろだ」「でももう赤いよ」「まだよ、もっと赤くならなくちゃ」「いけないの」「まだすっぱいよ」「はやく食べたいな」  庭のぐみの実が、赤く色づき始めました。初夏の彩りです。爽やかな風を受けながら、陽気な太陽の陽射しをたっぷり浴びて、ぐっと硬く青かった実は、日一日と膨らんで、柔らかく、てっぷりとして、怒ったあの子の頬みたいに真っ赤に染まります。今年は雨童が早々に御到着です。どうかしら、

「後日譚」

部屋に連れて帰った菖蒲ですがね、あの晩一つ、二日目の夜にもう一つ、咲いたんですよ。ええ、私が部屋にいる間には咲かないでね、少し離れている隙に、咲いていたんですよ。あんまり悔しくて、二本目はと思って凝と観察していたんですがね、そうすると咲かないものでして、根競べでした。でも駄目ですね、翌朝みたら、咲いちまってるんだもの。負けやした。仕方ないから、庭から伸びすぎの山椒をこうぱちんと切って来て、一緒に記念撮影でさあ。まったく植物ってのは、面白い生きもんだねえ。 と、江戸っ子ふうに

「軸足は地球にのお話・紙の行方と水の行方」

「軸足は地球に」。 自分にとって大切なことと問われると、私は真っ先にこの言葉を思い浮かべます。これは数年前から私が、新しい年を迎えるごとに手帳の見開きに書いている一年の道標の様なものです。他にも一つ二つ目標と定めて書き記しますが、自分の根幹と云えばこれを置いて外にありません。 それでは一体どう云う意味なのか、今日は少し、真剣にお話をさせて頂きたいと思います。私は、全ての命は地球が存在するからこそ成り立っており、自分の命は生かされてここに在るものと常々考えております。地球あ

朝井まかて「落陽」を語ろう

 まかて先生の作品には、大好きな物が沢山あります。一番は決められません。秋なので、「御松茸騒動」と迷いましたが、今回は「落陽」を語りたいと思います。 「落陽」は、明治天皇崩御の辺り、大正時代を舞台に描かれます。私はそれまで朝井まかて作品は時代小説しか拝見したことがなかったので、此れも確かに過去の話ではありますが、近代日本の話だとは、タイトルだけを知った当時、思いもよりませんでした。  まず導入が読者を早々本にのめり込ませます。ページを捲って私もすいと呑み込まれた一人です。