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箸休め

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連載小説の息抜きに、気ままに文を書き下ろしています。文体もテーマも自由な随筆、エッセイの集まりです。あなた好みが見つかれば嬉しく思います。
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#随筆

随筆「躍り出る雀」

 寒さに首を竦め、ストーブで指先を温めながら、小説の推敲の傍らでこんな日々を暮らしている。 「亀の読書」  出勤中の車内はできるだけ読書の時間に充てたい。だが新聞も読まねばならない上に、左から太陽がこれみよがしに温めてくるから眠気と戦う羽目になって中々一冊を読み終わらない。これは読書の時間というより、本を持つ時間なのだろうか。そんな馬鹿な真似をしているけどもページは確実に、はらり・・・はら、りと捲れている。今持っているのは先生の「虞美人草」だ。 「虞美人草」は愈々の終盤

「ひぐらし、雀の集会所、白桃の月」

 雨上がりの夕方、休日の国道は常よりも静かで、山の声がいつもよりもよく聞こえる。終日隠れていた長い日は、暮れる前に少しだけわが家の物干し台をオレンジ色に照らした。そうして今は蜩が鳴いている。  もう夏だ。先日から職場へ向かう道中にも蝉の声を聞くようになった。これから一層賑やかになるだろう。夏が盛んと降りしきるのだ。近所の線路を、たった今電車が走り去った。夜も更ければ踏切の音さえ鮮明に届く。週末の夜空には久し振りで月が昇っていた。白桃色で麗しく、またしても暫し見惚れた。空き家

「和菓子の佇まい」

 お呼ばれしたお宅に伺って敷居を跨いだ途端こんな素敵な和菓子に出迎えられたら、身も心も綻ぶ。梅雨前線が湿度を置き去りに列島から離れて世間がうだる中、私はそんな居心地の良い体験をして居た。お隣さんの和菓子は甘い水色、きっと紫陽花の君。器も好きで写真を撮らせてもらった。    和菓子のおいしさのみに止まらず、歳を重ねるごとに、その姿形に魅せられている自分をこの頃になって発見した。何しろ桃色だの黄色だのの園帽被って空色の園服に袖を通し、砂場で延々山を築いては爪の中まで黒くして素手

「長い旅になる」

 物語の旅は長い。歩いても歩いても道は続く。だが立ち止まってもいいし、途中で引き返しても良い。ひたすら先へ進むのだって無論のこと構わない。物語の旅は、要するに自由なんである。  本を広げて寛ごうと思うと、他の作業は片付いただろうかと周囲を見渡し、気懸かりがなくなってからでないと、さてさてと向き合う気になれない自分である。だがそうして漸く広げたページの狭間へ思考がすとんと落ちるのは早い。文字を追う程に加速して、その他一切を忘れている。そしてそんな物語に出会えること自体が喜びで

「五月晴れに身近な幸運を拾う」

 庭のぐみが真っ赤に熟した。今年も鈴なりで、鳥にも遠慮なく食べて欲しいが、明日は雨予報が出ているから今朝少し収穫してみた。先ず一粒、その場で軽く表面を払って口の中へ。薄皮が忽ち破けて甘酸っぱい果肉が舌の上へ広がる。皮に残る自然物の渋さと、木で熟したぎゅっと濃い甘味。みるみる力が湧いて来る様だった。口に残った細長い種をぽっと出した。  薫風庭先を撫でる。愈々緑溢れる日々が始まりを告げたのだ。青い空を横切る様に、蜘蛛の巣が宙を泳いでいた。  去る五月、長編小説推敲の傍ら、こんな

「あんことニホンカモシカの日曜日」

 雨予報は当たり、早起きをして日課の運動を熟すうち、曇天からぱらぱらと二階の屋根へ水玉模様を描き出した。だがまだ序の口であるから、こちらも負けじとランニングへ繰り出す。両膝にサポーター。連日深夜の帰宅になった為に寝不足。これはもしや満身創痍というものではなかろうか。  そんなの知らない。日の出が早くなったから、私は今年も勝手にサマータイムをはじめており、朝一番は長編小説の推敲と執筆に時間を充てている。カーテンの向こうが清々しい陽気に包まれている朝、目をしばたたかせながらも布

随筆「卯月の晩に桜光る」

 早い地域では散り果てと新聞にあった。毎年ながらぱっと咲き誇ったと思うと、瞬く内に散ってしまう。なぜあそこまで儚いだろうと中空を仰ぐ。世に色は多いけれども、花の色は誰にも真似できなかろう。よしうまい具合に再現したとして、それはあくまで赤色、黄色、なのである。花の色は、命の色であるから。あなたの色が誰にも真似できない様に。  等と眩しい朝日の内に御託を並べて草花の機嫌を取り、水を遣って、山椒を襲った不届きなアブラムシにオルトランをお見舞いしている内、咲くのか咲かないのか分から

随筆「革靴の足運ばせて、日々」

 あれよと過ぎゆく日々だけれども、今朝も目を覚まして、抜け出したくない布団の温もりから仕方なくでも起き出して、部屋の寒さが身を痛めようとも、蛇口の水が凍っていようとも、足袋型の靴下を履き、木刀えいやと振り回して、温めたお汁に焼き餅を乗せて、黙々と、生きている。耳たぶの霜焼けがなんだ。指先悴む洗濯物がなんだ。元来の負けん気は何処だと行李の中から探し出して押し出して、今日も今日とて荒ぶる世間に我が身を窶すのである。  ほうらみろ、あすこに太陽が顔出したぞ。背筋が伸びるから不思議

「極限の命と向き合った過去を、優しく包み込もうと思う」

 好物のアーモンドフロランタンを頬張った直後、私は喉と口内に違和感を覚えた。痒くて、胸が気持ち悪くなった。まさか。とその日は思ったけれど、翌日試しに齧ってみても、また同じ事が起きた。  私は母の葬儀の一切を終えた途端、食物アレルギーを発症していたのだ。    十三年前の話である。私は当時二十五歳だった。病気が判明してから、母は六年半に渡って闘病を続け、夏の暑い最中に、逝った。私には弟妹が多い。母の闘病中に、二歳児は小学生に、小学生は中学生に、もう一人の小学生は高校生になっ

「先生、書生のいちがお邪魔します」

 愛知県犬山市にある「博物館明治村」へ行って来た。それは秋も深まる休日の、風の穏やかな日の事であった。いつか行ってみようと云いながら、長い事訪ねないまま幾年過ぎて、危うく今年も触れないままに終えてしまう処であったのだが、とあるきっかけから、半藤一利著「漱石先生がやって来た。」を読み、愈々訪問の決意固めて、足を運んだのである。  何しろ私が明治村を訪ねたかった理由と云うものはただ一つ、先生の家へ訪問する事にあった。旧夏目漱石邸を訪ねてみたい、それだけが動機であると云って間違い

随筆「十二月の夜に」

 高速走って数時間。彼等が生まれてから後、こんなに長く会わなかった事は無かった。車を駐車場へ止めると、エンジン音に気が付いたのだろう、此方が車を降りるのよりも早く、玄関の扉が開いた。そして飛び出して来たのは、背が高くて、髪の長い女の子だった。妹か、いや違う、もっと大きい。そして殆ど同時に走って来たのは一番下の甥。真っ先に飛び出して来たのは、姪っ子であったのだ。  成長している。あんまり大きくなっている。俄かには信じがたいけれども顔は可愛い姪っ子である。あんまり大きくなってい

「里芋日記」

今年の八月、こんな記事を書きました。 続編にして、完結編です。お待たせ致しました! いいえ!!仮令お一人でも正座してお待ちになると仰られたからにはっ、自分も一層気合を入れて水遣りをするのであります! 里芋を無事収穫したら随筆を書く。だからどうか無事に里芋出来ます様に。そう願いながら、その成長を見守って来た数か月です。 一番旺盛な時。九月二十日の様子です。実は数年ほど続けて、家の里芋は毎年花が咲いていました。大きな畑であっても珍しい事のようですが、家のは何故か咲いていたの

「永いお別れ」

 夕べ少し雨が降ったようで、今朝は生温い気温で始まった。雨予報がずれた御蔭でランニングへも出た。走る前に、日課の素振りと懸垂と、体幹トレーニングを行うのだが、我が懸垂マシンは猫の部屋の隣にある。こちらが無言でいち、に、いち、にと鍛える隣で、猫は素知らぬ風であるのは日常風景である。今朝は、二度ほど、かさ、かさ、と音がしたが、何の音だか分からなかった。大方毛布の中で体の向きでも変えたのだろうと思った。  過日の東京行きから細々読み進めていた「漱石先生がやって来た」を、昨日十一月

「住宅街の坂道を登ると、日本民藝館があった」

「民藝」  今や人々の耳にもすっかり馴染みのある言葉だろうと思う。それはどんなものですかと人の問えば、朧気にも頭の中へ何かしらの民芸品を浮かべる事が出来るのではないだろうか。去る秋の日、私はこの「民藝」について、より深く学べる場へ足を運ぶ機会を得た。  十月某日、雨。自分は何か悪い事でもしただろうか。と空へ訊ねたいほどの土砂降りである。駅までたった五分、その間にズボンの裾から脹脛まで、リュック、ジャケット、全部濡れた。朝ごはん用に買ったおにぎりとパンは無事かが気になる。濡れ