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神も仏もない ①

私が最初にそれを思って空を泣きながら睨んだのは

息子が産まれる少し前。

初孫の誕生を心待ちにしていた義父。

予定日を過ぎても産まれる兆しが無く

義父は町内のソフトボール大会に出ていた。

体格も腕も良いキャッチャーだった。

その頃私は旦那さんの転勤先の鳥取に住んでいた。

初産だったが私の地元の九州の実家付近に産科が無く

帰省せずアパートからすぐの病院で産む予定にしていた。


その日の夕方 旦那さんの実家から電話があった。

「 ソフトボール中 跳ねたボールが胸に当たり倒れた 」

凄く驚いたが とにかく会いに行く準備をする。

隣県の島根だ 1時間位で着く。

もしもあちらで産気づいたら 義父さんと同じ病院で

産んで 義父さん更に元気になるかな?なんて考えて

準備していた出産バッグも持って出掛ける。

不安な気持ちで旦那さんと2人 言葉少なに向う。

スマホや携帯がまだまだ普及してない頃だ。

とにかく急ごう。


家に着くと皆が静かに迎えてくれた。

義父は仏間の布団に寝かされて顔には布。

布団の上には鎌と箒がクロスに置かれている。

動悸が早まる。

間に合わなかったんだ。

私達に伝えて動揺から事故でも起こしては大変だと

伝えなかったらしい。

跳ねたボールが胸に当たり心震盪を起こした事による

心筋梗塞だった。

今はあちこちにAEDが常設されているが

あの頃は普及しておらず  あっという間だったらしい。

享年 53歳 若過ぎる。

あれだけ孫の誕生を楽しみにしてくれてたのに!

嘘でしょ? 涙が溢れる。


義実家は女系家族でお祖父ちゃんも

義父さんも養子さんで。その当時は100歳間近の

曾祖母も同居だったが挨拶に行くと

「 順番が違う!私が先だったのに 」と涙を流して。

その姿を見るのも辛かった。おばばの肩を抱いて

一緒に泣いた。







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