苦しみが感謝に変わる
私たちは、小さい頃から身につけてきた
メガネを通して世界を見てる。
意識や思考と呼ばれるそのメガネで
苦しみを集めていたりするんだけれど
実は意味があって苦しみを見ているのかもしれないというお話。
ずっと長いこと苦しんできたことは、
母との関係性に始まる人間関係だった。
小さい頃から「あなたは普通じゃない」という言葉をかけられてきたから、私は普通じゃないんだ、人と相容れない存在なんだという前提で生きてきた。
そのメガネで前提通りの現実を集めては、「やっぱりね、私は人と違うから理解されない」と現実を決めつけていた。
常識から外れた自分が選んだ仕事は、同じく常識から外れたと言われる子どもたちと関わる仕事。いわゆる発達障害の子たちだ。
でも、彼らは全く常識など意識していない。
その時をどう生きるかということにひたむきで、自分をどう安心させるか、満たせるかに集中している。すごく美しいエネルギーだった。
そんな彼らのそばにいると、
常識ってなんだ?誰の常識なんだろう?
彼らをその枠に当てはめるための支援は、一体誰のためなのだろう?
という問いを感じざるを得なかった。
そして、自分自身が親になったとき、その常識という枠に苦しんでいるのは私たち親や周りの大人たちだという答えに辿り着いた。
常識の世界に当てはめなきゃいけない
当てはまらないこの子の存在を認める訳にはいかない
社会が認めてくれないのだから
その気づきが教えてくれたのは、
私がこの人生でやるべきことは、常識を覆すということだ、ということ。
子どもたちを変化させることに必死になっている大人が変化する時だ、と。
そのことを、子どもたちが教えてくれているのだ、と。
常識は誰かのフレーミング
解放されて良い
自分を許して良い
枠に当てはまろうと人の目を気にしなくて良い
自分の魂の欲求を満たして良い
そうすれば、自然と人を満たすための役割が与えられるから
世界が美しいエネルギーで満たされていくから
生きにくい世界を生きてきた苦しみは
この大きな役割を知るためだった!
私はそれまでの苦しみに、それまでの人間関係に、母に深く深く感謝した。
痛み、悲しみ、苛立ち、怒り、それらの苦しみが自分の内に飽和された瞬間だった。
負の感情は自分の生存を守るために出てくるもの。不要になった時には感謝をして抱き締めれば良い。そうするとふと、ありがとうと言いたくなるはずだ。