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白雪姫

グリム童話集(1812)にはメルヒェン201話と子供聖者伝説10話の計211話が収められているが、151番が重複して2話入っているので、正確には全210話となる。そのなかで「魔女」が登場するのは20話、「男の魔女」の話は5話あり、それを入れると魔女が登場するのは25話になる。男の魔女という表現は奇妙であるが、現実の魔女裁判では男にも子供にも「魔女罪」が適用されており、男の魔女、子供の魔女の存在が確認されている。グリム童話集の魔女の女性と男性の割合は、現実の魔女裁判での犠牲者の男女比とほぼ一致している。なお、子供の魔女の出現はグリム童話集では皆無である。
・・・ところが有名な53番「白雪姫」の毒林檎を作る王妃は魔女ではない。

「白雪姫」(53番)  
グリム兄弟

王女、白雪姫には実の母親がいたが、亡くなって継母がやってくると、その美しさを妬まれる。魔法の鏡が国中で一番美しいのは白雪姫だと断言すると、継母は怒りだし、狩人に森で白雪姫を始末し、肺と肝臓を持って帰るよう命ずる。白雪姫は狩人に助命をして森に逃してもらう。狩人は変わりに猪の肺と肝臓を持ち帰る。継母はそれを白雪姫のものと信じ、塩茹でにして食べてしまう。一方の白雪姫は、森の中で七人の小人の家を見つける・・・。

白雪姫に与える毒林檎の制作は魔女術によるものと推測されるが、継母は「魔女」とは表現されていない。グリム童話集には「継母であり魔女でもある」話は4話あるので、同時に使用できない縛りのある表現ではない。一説では継母は「塩茹で」にしたから、とあり「塩は浄化を表す」ので魔女は塩に触れることができない、という。しかし、この論理は少々早計である。実際、グリム兄弟は「ドイツ神話学」という著書で「女性および巫女が塩釜の管理をし、塩の供給を調整していたとしたら、塩の精製と魔女術を結び付ける民間伝承が証明されたことになる。」としている。魔女と塩は密接なものだ、と転換される。理由は塩ではない。では、なぜ、継母は魔女ではないのか。

白雪姫の初稿と初版では、継母ではなく実の母親と娘の話でした。実母が娘に嫉妬する話をグリム兄弟が考えた結果、継母に変更したのです。「家庭と子供のための本」に、悪い実母が頻繁に登場していたら、グリム兄弟が理想としている愛と平和に満ちたメルヒェンの世界ではありません。悪い実母を継母に書き換え、「血縁関係がない母娘関係であるから、嫉妬心で継娘を虐めるのだ」と読めるような配慮をしたのです。実母であるものを継母へと書き換えた。書き換えはそこまでで、魔女にまで書き換える必要がなかったのです。白雪姫の継母は元々の話では実母であったのだから、魔女ではない。「魔女術で毒林檎を作る継母」として、王妃は魔女と同じく悪人の代表的存在となり、「白雪姫」の中で重要な役割を果たせているのです。

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