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葵上

葵上 あおいのうえ
能の曲目

「思ひ知らずや世の中の、情けは人のためならず」
(あなたはご存知ないのですか。人にかける情けは人のためのものではないのですよ。)

光源氏の北の方、葵上が物の怪に憑かれ臥っている。朱雀院の朝臣に呼ばれた照日の巫女が梓弓の呪法をもって物の怪を招き寄せると、上臈姿の六条御息所の生霊が現れ、光源氏の愛を奪われた恨みを吐露し、葵上を責め、連れ去ろうとする。そこで生霊調伏のために横川の小聖が招請され、加持祈祷を行う。

「源氏物語」の「葵」に拠り、光源氏の愛を失った六条御息所の生霊が現れ、嫉妬と恨み、そして成仏までを描いている作品で、室町時代以降、上映頻度の高い人気曲。曲名になっている葵上は登場せず、舞台に小袖を置いてそれを示している。梓弓の音に惹かれて登場する六条御息所の生霊が見えているのは、照日の巫女だけである。

三つの車に法の道、火宅の門をや出でぬらん

私たち衆生は三つの車に乗って、この火宅のような現世の門を出て極楽浄土に往生するといわれていますが、私もそのように往生できるのでしょうか。

それ娑婆電光の境には、恨むべく人もなく、悲しむべき身もあらざるに

そもそも、この人の世は稲妻のようにあっという間に過ぎてしまうものです。それを思えば、人を恨んだり、我が身を悲観したりする必要も無いはずなのに。

六条御息所は前東宮妃として貴公子達の憧れの貴婦人であった。光源氏は虜になってしまい、正妻葵の上に次ぐ妻とした。しかし、光源氏は六条御息所の教養、知性、身分を次第に持て余すようになり、関係は間縁になっていく。さらに嫉妬で生霊となり光源氏が惑溺していた夕顔を取り殺してしまうという事件が起きる。(町の噂であり事実は不明)。新たに朱雀帝が即位して、同腹の女三の宮が賀茂の斎院に卜定される。初斎院御禊は新たな御世の始発として、格別に盛大な祭事となった。光源氏が特別の宣旨で供奉することになり、六条御息所は久方ぶりに光源氏の晴れ姿を物見に出掛ける。その乗り物は、お忍びのやつした網代車であった。そこへ正妻、葵の上の一行がやってきて、六条御息所の牛車を後方へ追いやってしまう。恥辱的な仕打ちを受けた六条御息所。だが、行粧の光源氏は気がつくはずもない。この車争いが発端となり、しばしまわりを悩ませる。そして葵の上の出産の際に六条御息所の生霊が現れる。葵の上は夕霧を出産するが、生霊に取り殺される。
これで光源氏と六条御息所の関係は決定的に破綻してしまう。
歳月は流れて、六条御息所は重病の床に臥す。駆け付けた光源氏は心を尽くして看病するが、死に臨んだ六条御息所は、光源氏の思いやりに感謝しつつ、娘の後見を頼んで、悲しい人生を閉じる。
しかし。
六条御息所は死んでもなお愛恋執着の思いが消えることはなかった。物の怪(死霊)として、紫の上の病気の時、女三の宮の出産の時などに取り憑いた。愛欲の妄執のために往生出来ない苦しみ切々と訴えている。光源氏は、六条御息所の娘と共に追善供養をいとなむ。
紫式部「源氏物語」。この中では「六条御息所」は、成仏できたとは描かれていない。

「源氏物語」好きな世界です。何度も読み返しました。与謝野晶子訳、谷崎潤一郎訳、円地文子訳、田辺聖子訳、瀬戸内寂聴訳・・・。
瀬戸内寂聴さんがある対談でこう言っていました。
「男の人って、好きな女性の登場人物を、っていうと、みんな『夕顔』を挙げるのよね。・・・浮気相手、忍び通う愛人が欲しいのよ。」

・・・わかる。僕も男ですから。
・・・でもね。
・・・僕は「六条御息所」が一番好きなのです。こんなに悲しい女性はいない。そして。
能の世界でしか、成仏できない。それも悲しい。

若い男性にある年上の女性への恋。よくあること。そして、こちらは知らずとも、その女性を傷つけたままにしてしまう、というのも若い男性にありがちなこと。
源氏物語の六条御息所の心情を読み解くまで、自身の過ちに、見て見ぬ振りをしていた僕は、人生を悔恨するようになった。だが、どうする事も出来ず歳月は重ねられていく。光源氏が出家を前にし、悲しみに暮れた一年「幻」(源氏物語五十四帖の巻名のひとつ。第41帖)、僕は、その年齢に近くなった。
紫式部は、六条御息所を成仏させなかった。六条御息所は、生霊、死霊として光源氏が愛した女性を苦しめ続ける。紫式部も思い当たることがあったのか、身近にそういう男女がいたのか。教養、知性、身分の高い女性を嫌っての仕打ちだったのか。

能「葵上」の世界で六条御息所は成仏できる。
こちらを紹介することで、僕は安堵できる。
・・・
読誦の声を聞くときは、読誦の声を聞くときは、悪鬼心を和らげ、忍辱慈悲の姿にて、菩薩もここに来迎す、成仏得脱の、身となり行くぞありがたき、身となり行くぞありがたき
・・・


『源氏物語』の世界では、光源氏が次から次に女を愛するけれども、愛された女たちは一人も幸福になっていないんです。 これは大変なことだと思います。 天下一のハンサムに愛されるんだから悪くないです。 ぜいたくもさせてもらう。 しかし、心が十二分に、あるいは十分にでも満ち足りたことはない。 必ず源氏には自分以外の女がいて、それを耐え忍ばなければいけない。

愛は独占欲がありますから自分だけを愛してほしい。 ところが、浮気な夫や恋人は、自分以外の人も愛している。 自分のところにいないときに男が何をしているかと想像すると、苦しみが始まるんですね。 これは嫉妬です。

・・・瀬戸内寂聴

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