ナジャ
📙『ナジャ Nadja』
アンドレ・ブルトン
André Breton
1928
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「あの人には信じられないの。私たちが一緒にいるのを見ると落着かないのよ。それほど、あなたや私の目の中にある焰は珍しいの」
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街の書店で買物をしたあと、オペラ座の方角に向かってぶらぶら歩いてゆく途中、一人のみすぼらしい身なりをした、金髪の若い女とすれちがう。「私」は、こんな眼はこれまで見たことがないと思った。ためらうことなく「私」はこの女に声をかけてみる。女は神秘的な微笑を浮かべる。二人は駅に近いcafeに腰を下す。彼女は身上話をする。彼女は一人の青年を愛し、相手も愛してくれたのだが、「彼の邪魔になるのがいや」で、数年前、男と別れてパリにやってきた。女は名前を言う。それは彼女が自分で選んだ名前なのだ。
「ナジャ。だってロシア語の希望って言葉のはじめなんですもの」
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別れぎわに「私」は尋ねる。
「あなたは一体誰なんです?」
すると彼女は即座に答える。
「私って、さまよう魂」
彼女の話は幻想的で、不思議なイメージにみちている。
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アンドレ・プルトンは、ノルマンディ地方のタンシュブレエ(オルヌ県)で生れた。彼はその幼少年時代についてほとんど何も語っておらず、生まれてすぐ、プルターニュの母方の祖父にあずけられたこと、四歳頃、一家がパリに近いパンタンに移ったことぐらいしか分っていない。ただ彼が地方出身者で、北方人気質を持ち、ブルターニュの風土に強い影響を受けたことは確実である。パリのコレージュ・シャプタルで学び、十七歳のとき医者になろうとして、医学課程を受講。このころから文学・絵画に強い関心を示し、詩を書き出した。第一次大戦がはじまるや、あちこちの軍の病院に配属され、主として神経科の患者の治療にあたっている。1924年、「シュールレアリスム宣言」を発表。この中で彼はシュールレアリスムを、「理性の支配を一切受けず、いかなる美的、道徳的先入主からも独立した思考の表現」と定義する。
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哀情の念をもって「私」はナジャに呼びかける。「そこにいるのは誰だ?君なのか、ナジャ?
彼岸が、彼岸のすべてがこの世の中にあるというのは本当なのか?僕には君の言うことがきこえない。僕はひとりなのか?君は僕自身なのか?」
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