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風の又三郎

谷川の岸に小さな学校がありました。 教室はたった一つでしたが生徒は三年生がないだけで、あとは一年から六年までみんなありました。

宮沢賢治
執筆時期 昭和七年前後。
初出・初刊 生前未発表。「宮沢賢治全集」第三巻(昭和九年1934)

夏休みが終わった九月一日。小さな小学校に転校生がやってきた。鉱物モリブデンの開発に携わる父親に連れてこられた少年。名前は「高田三郎」という。その日はちょうど強風が吹く210日だったため、皆、彼を『風の又三郎』だといった。
二日 かよが佐太郎に鉛筆を取られて泣くのを見た三郎は、かよに自分の鉛筆を差し出す。
四日 牧場で競馬遊びをするうち一頭の馬を追いかけていった嘉助が霧の中で迷い倒れる。風の又三郎が空へ飛んでいく幻想を見た後に嘉助は大人に助けられる。
六日 葡萄取りに行く。知らずに煙草の葉をむしった三郎を皆が咎める。耕助はしつこく揶揄う。耕助は栗の木の下で三郎に水を浴びせさせられる。風はこの世界にいらない、と言う耕助と三郎が口論になる。
七日 川へ泳ぎに行く。向こう岸で四人の大人が発破をかけ、浮き上がった魚を捕まえる。三郎は大人へ魚を返す。他の子供達は生簀を作って魚を入れる。
八日 川で鬼ごっこをする。黒雲が広がり雷雨となり、皆、木の下へあつまる。誰ともなく、さけぶ。「雨はざっこざっこ雨三郎/風はどっこどっこ又三郎」
十二日 一郎は嘉助を誘って朝早く登校する。モリブデンの発掘が中止となったため、三郎は転校したのだと先生から聞く。

やっぱりあいづは風の又三郎だったな。

小学校というものは、とても懐かしい。
たくさんの願い事を持つ、無垢な世界が広がっている。
ですが、思い出せば思い出すほど、目を背けてしまい、考えるのをやめてしまう。
願い事の多くは、大抵、殆ど、叶うことはないのを知っているからです。
懐かしいものに「リアリティー」が入ると甘美な郷愁には浸れない。
小学校の思い出は大人の郷愁には向かない。

地球上のどこでも風が吹く。
詩人は「キラキラ」と世界の美しさを描く。
険しく刻まれた道も、その向こうには、坂の上には希望があるという。
宮沢賢治は、海の底で長い年月をかけて石ができることを知っていた。
この世は甘い世界ではない。海の底のように塩辛い世界だと。
夢のあるおとぎ話は、異空間を見せてくれるけれど、その世界に魅入られたままでは、この世界に戻ることが出来なくなる。

仲間とはぐれ、危険な谷の縁で道に迷ってしまい、昏倒した嘉助は、朧げな意識の中で「ガラスのマント」「ガラスの靴」の「又三郎」を見る。又三郎は灰色の霧の流れる空へひらりと飛び上がる。

少年が大人へ近づく変革が現れると、遊びは危険なものとなっていく。未知の世界は不気味で不安の影があるもの。
幻想はリアリティーとなり、願い事の多くは、風で舞い上がることもなく地面に落ちていく。

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