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グリーンレクイエム

グリーンレクイエム
新井素子 1980

腰まで届く長い髪を持つ三沢明日香は、三十年ほど前、地球に不時着した異星人の末裔の一人。彼ら異星人は緑色の髪で光合成をし、接触した植物を感化して意志を持たせることができる。地球上の植物が意志を持ち、人間に対抗してくることを恐れた学者たちは、必死に彼らを追う。一方、植物学の研究助手である嶋村信彦は、少年時代に運命的な出会いをした明日香と再会、恋に落ち、逃避行を企てる。しかし明日香は、人間に対する本能的な恐怖と、母の潰した「故郷へ帰りたい」という呪縛に縛られている。二人の目指す先は詩の世界・・・になる。

・・・自分の居場所がわからない。
・・・常に自分の存在意義を探している。
他者、社会に受け入れてもらう術に、明確な解などない。自分と他人を組み合わせることは非常に難しい。だから僕らは「運命」という便利なワードを使っている。「運命」は不幸な裏切りを慰めてくれる。この「運命」というワードは、見えない未来への不安を和らげる心の支えでもあるのだ。僕らは、「運命」を拠り所にして、他者、社会と繋がる不安定な毎日を過ごしている。大人へ近づく「ジュブナイル」(ティーンエイジャー)には、「運命」とは別の特別なワードがある。「恋愛」である。恋愛が始まると、幸せになり、明るい未来を、この小さな自分が手に入れたと思う。他者、社会に受け入れられることができて、この世界に存在することが可能になると信じてしまう。「恋愛」は自分を変えてくれていると思う・・・。

この世にある、男女が登場する物語において「自分」と「他人」を組み合わせる場合には、間に「恋愛」を配することが多い。恋愛が登場人物の孤独を解決し、居場所を決め、ストーリーを展開させていく。そこから登場人物の「運命」を感じ取れるように描かれる。
この「グリーンレクイエム」の恋愛の描き方は、恋愛物語のプロットに沿っている。ですが、とてもジュブナイル、ライトノベルらしい。何故なら「恋愛」の組み合わせが「異星人」と「地球人」となっているから。さらに「動物」と「植物」の組み合わせなのである。本当に新井素子さんらしい。
新井素子さんはライトノベルの草分け的存在として知られています。新井素子さんの高校2年生でのデビューと新しい文体は、当時の文学界に衝撃を与えました。一人称「あたし」、などその言語感覚は新しい世代を感じさせました。
・・・
「・・・・・、・・・・・。」
僕はその渦中にいた。懐かしいな。新井素子さんの本は、ほぼ読破した。「星へいく船シリーズ」の「通りすがりのレイディ」こそ至高だった・・・、なんて語り合える人は何処かにいるのかな。さあね。もうずっと昔のことだから・・・と書き込むだけで、とても、と言うほどでもないけど寂しい。何かが消えていくようで、振り返ることも出来なくなりそうで。でも前には歩けなくて。現実の「歩く」でもっと最近を寂しく感じてしまう。・・・街を歩いて本屋さんに立ち寄っても、新井素子さんのシリーズが並ぶこともなく、図書館で見つけることも難しくなってしまった。もしかしたら、もうずっと前に「新しい世代」は終わっていたのかもね。短くて気が付かなかったのかな。何がって?・・・年月で括られた時間的なものではなくて、僕の中の感性が、短く切り詰められているんじゃないかって。でも、この寂しさは、それだけじゃ、短いだけじゃ埋め合わせができない。減っているだけだもの。もしかしたら新しい世代に憧れて、なりきって、演じていただけで、感性なんてそもそも・・・、こんな感じだよ、寂しい、僕のまとめは、と。そしたら。
「・・・・・。」
ごめん、僕は、今、
「考え事をしてるんだ。」

・・・・・新井素子さん風に書いてみた。

「恋愛」は「運命」を変えることができるもの。だけど、さらに大きな運命である「宿命」を変えることはできるのだろうか。言い切ってしまうと、「できない」。
たがら、僕らは恋愛に夢をみている。そして。
人間は、恋愛を豊かにするために、芸術に触れて、この世界を美しいものへと昇華させる術を作り上げてきている。僕らは恋愛のチカラを信じている。そう、いつまでも心の中にジュブナイルがあり、運命を良い方向へ変えようとしているのだ。

空想して見つめよう。
「あたしの中の・・・・・」
空想して旅をしよう。
「星へいく船」
空想して冒険しよう。
「いつか猫になる日まで」
空想して元気になろう。
「扉を開けて」

夢をみよう。
「グリーンレクイエム」

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