「河童」
芥川龍之介 1927
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三年前の夏のことです。僕は人並みにリュック・サックを背負い、あの上高地の温泉宿から穂高山へ登ろうとしました。穂高山へ登るのには御承知のとおり梓川をさかのぼるほかはありません。僕は前に穂高山はもちろん、槍ヶ岳にも登っていましたから、朝霧の下りた梓川の谷を案内者もつれずに登ってゆきました。朝霧の下りた梓川の谷を──しかしその霧はいつまでたっても晴れる景色は見えません。のみならずかえって深くなるのです。
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三十歳位のある精神病患者。その男は三年前、上高地から穂高山に登ろうとしていた。朝霧の濃い梓川の谷を登り、ようやく晴れてきた視線の先に「河童」がいた。男は河童を追いかけるが穴らしきものに落ち、深い闇の中へと吸い込まれてしまう。・・・そこは河童の国だった。銀座通りと変わらない街並み、自動車が走るといった人間文明と変わらない国であった・・・。
昭和二年(1927)三月、芥川龍之介は文芸雑誌「改造」にこの短編小説を発表しました。舞台は上高地(長野県松本市安曇)。大正池から遊歩道を歩いてゆくと「河童橋」が現れます。芥川竜之介は、梓川に架かるその橋から着想を得て、人間社会を皮肉に描いた『河童』を誕生させました。
『河童』を発表じたその年の七月二十四日の未明、芥川龍之介は致死量の睡眠薬を飲み、・・・しました。遺稿『或友へ送る手紙』には「何か僕の将来に対する唯ぼんやりとした不安である」と心中が書き残されていました。
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