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更級日記

更級日記

菅原孝標女 1059年〜

幼少の時「源氏物語」の話を聞かされた作者は光源氏の実在を信じて、京へ上りたいと願う。十三歳のときに願いが叶い、父に連れられて京へ上る。十四歳で憧れの「源氏物語」に出会い、陶酔する。夕顔や浮舟のような恋がしたいとのみ願う。二十五歳のときに父が作者を京に残して常陸国へ赴任。二十九歳の秋、父が隠退、母は尼になる。三十三歳の春、意に反して平凡な結婚。三十五歳のとき、親しい人間ができるが、恋は実らなかった。この頃から夫の立身や子供の成長を願う普通の主婦として、日常の喜びを歌とする。四十歳近くになると、源氏物語への憧れは卒業して批評家に成長する。その後、夫は急死し、不信心を悔やむが、読経も物詣でも現世の幸福を掴むのには無力であることを悟る。四十八歳のとき、阿弥陀仏が迎えにきた夢を見た。後世は安楽だと思うが、余生をどう送ればよいか、思案に暮れている。
「源氏物語」の世界と現実の世界とを混同し光源氏のような貴公子が実在すると信じて、
その出現を夢見るうちに、年をとってしまった。うっとりと過ごしてしまった。

月も出でて闇にくれたる姥捨になにとて今宵たづねきつらむ
我が家はまるで、月も出ないで闇に包まれた姥捨山のよう。そんな叔母の家を、またどうして今夜訪ねてきてくれたのでしょうね。
夫の死後、落胆する作者のもとを甥のひとりが訪ねてくる。そのときに口ずさんだ歌。自らの晩年の境遇を、信州の更級にある姥捨山の伝説に重ね合わせた。これが「更級日記」という作品名の由来となっている。

上記の歌は、
『古今和歌集』の一首「わが心慰めかねつ更級や姨捨山に照る月を見て(雑歌上、よみ人しらず)」を本歌取りしていることに由来すると言われている。作中に「更級」の文言は無い。

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