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桃太郎

『桃太郎』

落語
「御伽話」出自

子供が夜遅くになっても寝ないと、親は早く寝なさいと御伽噺をする。

「昔々、あるところにお爺さんとお婆さんが住んでいました。お爺さんは山へ芝刈りに、お婆さんは川へ洗濯に・・・。」

・・・桃太郎の話をすると、話が最後まで終わらないうちに、親がひとこと。
「あれ、寝ちまいやがった。子供なんてものは罪がねえなあ」


最近では、こうはいかない。「寝ると噺は聞けないし、噺を聞いていると寝られない」と鋭いところを衝いてくる。噺を始めても、昔々と言えば「何十年前か」、あるところと言えば「何丁目の何番地か」、と切り込んでくるので一向に噺が進まない。

散々、茶々を入れられながらも、何とか噺を終えた。しかし「つまらないから目が冴えた。」子供はそう言って御伽話「桃太郎」に込められた寓意を説明し始めた。

・・・昔々あるところに、というには理由がある。時代や場所を決める事は簡単だが、そんなことをすれば範囲が狭くなって普遍性がなくなるのでわざとそうしていること。お爺さんお婆さんというのは、父母にたとえてある。お爺さんが山へ芝刈りに行くのは、父の恩は山よりも高しということを教えるためだし、母の恩は海よりも深してんだが、海の代わりに川にしてある。

「・・・なるほど、大人が聞いても為になるな」

・・・鬼ヶ島は世間のことで、子供が奉公に行き、世間と闘って信用を得ることを宝物を持って帰るということに見立てている。猿は知恵、犬は仁義、雉子は勇気で、人は智仁勇の三つを備えていれば出世できることを説いている。

・・・と、明快に解説していた子供。最後まで終わらないうちに、ひとこと。
「あれ、寝ちまいやがった。親なんてものは罪がねえなあ」

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