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日記:迷いがあるところに絶対悪は生まれないこと。また「海水で渇きは癒えない」ことについて:力の指輪第6話_1

さて夜遅いのですが、大きなところだけnoteして、すべて書こうなどと欲をはらず、時間が来たら残りは明日に回しましょう。

この第6回は話が大きく動いたので、書きたいことがいっぱいで、本当は過去回も見直して考えたいし、そんな回を平日にnoteするというのは、もどかしいものがありますね。

まずはハルブランドがサウロンであってほしくないと思っていて、その理由から。

今回、ハルブランドがサウロンであるかのような誘導がいくつかありました。私にとっての大きな誘導は2つありました。

1つ目:「お前は誰だ」


一つは、誰もがそう感じたと思うのですが、アダルとハルブランドのやりとりです。

「俺を覚えているか」「お前は誰だ?」

「あれ…本当に…ハルブランドは誰なんだ?」という気づきに視聴者の意識を誘導するやりとりでした。この場面だけ見たら、もうハルブランドはサウロン決定です。

2つ目:ガラドリエルとの絆描写


2つ目が、ガラドリエルとハルブランドの間で、互いへの信頼が生まれたような場面があったことです。アダルを殺そうとしたガラドリエルをハルブランドが止めた後、2人で座って話す場面です。

絆が生まれる場面を描かれるとき、それは、その絆が壊れてしまう、もしくは絆が試されるフラグのことがあります。

けれどもハルブランドとガラドリエルの間に、絆が試されるような試練が待っているとは思えません。なぜかといえばハルブランドは、ガラドリエルと対等に絆を結ぶには人格の格調が足らないように描かれているからです。筏で漂流する人々を切り捨てたり、店で小さなごまかしをしたり。そういう人物とガラドリエルの間に、本当の絆が育まれるとは思えません。

ならば、絆が裏切られる場面が待っているかな、と予想するわけです。

ハルブランドがサウロンであってほしくない理由


ではハルブランドはサウロンなのか?
結論からいえば、その可能性もあると思います。制作陣がどのようなテーマを描きたいかで、いかようにも物語は変わります。
ただし、私はサウロンであってほしくないと思っています。

一番大きな理由は、ハルブランドは迷いのある人間だからです。

迷いのあるところに絶対悪は生まれない


私は、指輪物語の悪であるモルゴスやサウロンは、言い訳の余地のない絶対悪として描かれていると思います。それは、そのエネルギーに全くストッパーが描かれていないからです。

とは言っても、悪は徹底的に憎むべき悪として(ガラドリエルがアダルに向けたように)書かれてほしいと思っているわけではありません。

そうではなく、「迷い」に目を瞑れること、無意識の悪こそが、ストッパーのない、止まるところを知らない「絶対悪」の資格だと思っているのです。

本当は善だったはずなのに、酷い目にあって迷いながら悪になったというのは、絶対悪としては陳腐です。指輪物語のスケールの大きさから考えれば悪に対する認識が卑近で楽観的ではないでしょうか。

そのセオリーは「然るべき理由がなければ悪は生まれないよ」というセンチメンタルな安心を生みますが、自分のモノサシでしかモノを見ない行為であり、無意識の悪を見ないですむため、隠蔽の温床にもなります。

「無意識の悪」は、自覚がないからこそ、その悪どさには際限がありません。また「いい隣人」が安逸に目を瞑り、システムに流され、非人道的なことを疑問なく行う、いわゆる「凡庸な悪」も、絶対悪の一つだと思っています。大きな理由もなく、迷いも悪気もなく行えてしまうからこそ絶対悪が可能になる。

その無意識の悪の存在を隠蔽してしまう「理由に説明がつく悪」を、サウロンには設定しないと思うのです。迷いがある存在が、弱さゆえに道を間違え、悪になる、それは絶対悪というよりも絶対悪に利用される存在だと思うのです。例えばナズグルなんかはそれだと思います。

ハルブランドの迷い


ハルブランドには幾つか屈託と迷いが描かれます。それは自分が悪に加担することによって生き延びたことからくる迷いのように描かれています。

その迷いが演技という解釈もありますが、それではちょっと回りくどいなあと。特にハルブランドしかいない場面では演技する必要がありません。

ミーリエルが中つ国への出兵を見直そうとしていた時、ハルブランドは自分1人の部屋で、一度は南方王国の紋章を置いていこうとして、思い直したように紋章を掴む、そんな一瞬の場面がありました。結果、第6回の通りヌーメノールの軍は中つ国に降り立ちます。

もしハルブランドがサウロンなら、ここは何の気負いもなく紋章を掴むべきではないかなと思います。それまで中つ国行きを渋っていたのに、一人きりになると、迷わずに南方王国の紋章を掴む。こうしたちょっとした矛盾が描かれるなら、実はハルブランドがサウロンだったからということで、綺麗に辻褄が合います。でもそういう場面ではなかった。

あと小さなことですが、ハルブランドがサウロンなら、他にどのキャラクターが「人間の王」としてナズグルになるんだろうっていうことも思うのですよね。ハルブランドなら(残念ながら)ナズグルに陥る不安要素がしっかりあります。

「海水で渇きは癒えない」


第2回にも登場したこの言葉は、悪にまつわるこのドラマのテーマの1つだと思います。海水で渇きを癒そうとするところから、止まらない悪の悲劇が生まれるのですよね。

例えば9つの指輪を手にしてナズグルになることは「海水で渇きを癒す」行為だと思います。

またヌーメノールの人々がエルフを妬むのも、海水(スケープゴート)でもって渇き(不安や悲しみ)を癒そうとする行為であり、それがヌーメノールの没落を招くのではないかな。

ではサウロンは海水で渇きを癒そうとした存在なのかといえば、それは先の繰り返しになるけれど、サウロンは「海水で渇きを癒そう」とするたくさんの渇望を、吸い上げる方の存在なんじゃないのかなあと思うのですよね。

サウロンが誰か、が楽しい


もちろん、例えばハルブランドは気づいていないけれども、彼にサウロンが取り付いているとかだったら(そんな技があるのなら)、迷いや矛盾の理由はつきますし(まあそれは厳密にはハルブランド=サウロンではないけれど)、また私が見えていない巧みな伏線があるかも知れず、それはまったく否定できません。(そこまで丁寧に見られていない)。

それに書いていて、あれ、やっぱりハルブランドはサウロン?てだんだん思えてきたり、うーん、弱いですね。ちゃんと過去回の「ハルブランドの迷い」を見直していないから、実はハルブランドはまったく迷っていなかったということもあり得るかもです。

ともあれ制作陣が「サウロンは誰か」を仕掛けたのは、どうも私に対しては大成功です。もうこの答えとその経緯を知らずにはいられません。

とりあえず、ばーっと大きなところをnoteに流しました。やれやれ。
明日余裕があればもう少し第6話について書きたいな。

おやすみなさい。

(日記:2022年10月3日)

以下後日加筆

結局こういうことになりましたねー


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