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日記:読者を熱狂に引き込まないのに読んでしまう:彼女のことが好きになったかもしれない「ボヴァリー夫人」読了

読了しました。

読んで良かったです。
小説を読む意味を、久しぶりに噛み締めました。

積極的に読もうと思った本ではありません。テレビをつけたらたまたま昔の名画をやっていて、何となく視聴したら良かった、という読書です。

最初は、何で今さら不倫話を読まなくてはいけないのだろうと不思議に思いながら読みました。

なぜ今さら彼女の不倫話を「読んでしまう」のか


その感じは最後まで続きますが、ちょっとニュアンスが違います。
「なぜ今さら彼女の不倫話を読んでしまうのか」。

そういう不思議な魅力のある小説でした。その魅力の秘密は全く言語化できませんが、おそらく世間にたくさん解説や研究があることでしょう。

思うことの一つは、ストーリー自体に個性的な魅力があるのではなく、人物造形・人物描写・心理描写に独自の魅力があるのだろうということです。

主人公のエマには、とても感情移入はできないと思ったし、感情移入はしていないと思うのですが、エマが小説の中でいちいち破滅的行動に向かうたびに私が感じるモヤモヤは、どうも自己嫌悪の時に感じるモヤモヤに似ている気がします。

作者フローベールの写実主義の小説として、代表作とのことですが、確かにそうなんだろうなあと思います。
「フランスの田舎の、ある1人の女の話だ」「それだけのことだ」という感覚が、ずっとついて回るからです。読者を幻惑や熱狂に引き込まず、それでも読んでしまう、緻密な作品です。

私が現代の日本の小説を最後に読んだのはもう数年前ですが、ボヴァリー夫人の読後の地点から振り返ると、解像度が全く違う(低い)ように思えます。
もっとも、そう感じるからこそ、最近の小説をまた読んで見たくなりました。古今の小説の魅力の違いを知りたくなったということです。

友達がいないエマですが、おそらく私は好き


とりあえず、どうも私は主人公のエマが嫌いではなく、もしかしたら好きかもしれません。

そんな私の大きな疑問は、なぜエマには「友達」がいないんだろう(描写されないんだろう)ということです。エマには、友達が出てきません。
とはいっても「友達」とはどういうものなのか、私には全くわかりませんが。

他の小説ってどうだったかしら。
そういえば、そもそも小説には、ドラマや映画やマンガより主人公に友達がいない(描写されない)率が高い気がします。また、心理描写が緻密な作品ほど、友達の出現率が減る気がします。全くの感覚でしかありませんが。

まあそういった、さまざまなことを考えてしまう小説でした。
読書後に考えてしまうということが、人が作品に触れる大きな意味の一つだと思いますので、よい作品でした。よい読書でした。

もう一度書きますが、私はどうも、エマが嫌いではなく、むしろ好きなようです。不思議です。エマが好きということと、小説の魅力にはおそらく同じ理由があるだろうと思います。

おやすみなさい。

(日記:2022年12月3日)

タイトル画像について:Kの刺繍


我が家に大量に余っているハンドタオル(子どもの学童でハンカチを忘れるたびに強制的に買わされた)をキッチンの手拭き用に使うことにしました。
他のハンドタオルと混ざらないよう、キッチンの「K」の刺繍をしたのが、今日の私の生産です。これだけですが3時間かかりましたー。
マジックで書くと薄れてしまって、グダグダになるので、刺繍したら少しは気持ち良く使える(暮らせる)かなーと。


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